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戦時中の映画雑誌のマレー・シンガポール映画関連記事リスト

『映画之友』

昭和16年3月号
「我が南進の記 香港、新嘉坡、彼南」 牛原虚彦
「シンガポールの思ひ出」 齊藤達雄

昭和17年3月号
「敵拠点を歩く 星港の憶ひ出」 徳川夢聲

昭和17年6月号
「忠魂永久に薫る マレー血戦記」 大映東京第二撮影所作品・陸軍省後援 島耕二演出

昭和17年8月号
P54-55
「大映特集 二大戦記映画の第一報きたる! 現地撮影先発隊の意気益々旺盛! 「マレー血戦記」現地報告第一報」 「マレー血戦記」現地ロケ隊総責任者製作部 加藤義郎

P72-73
「大海軍映画よ、燦たれ! 「ハワイ・マレー沖海戦」製作前記」 内海龍兒


昭和18年2月号
P.8-9
「マレー作戦の輝かしき勝利の記録を描く シンガポール総攻撃」

P.9
「「シンガポール総攻撃」撮影中間報告」


昭和18年4月号
P.34-40
「座談会 われ等かく戦へり マライロケーシヨン便り」
→島耕二、永見隆二、相坂操一、進藤誠吾、古賀聖人、三浦信夫、中田弘二、星ひかる、押本映治、大黒東洋士の座談会。
「撮影の日程とコース」「ブキテマにおける感激的な再会」「クアラ・ルンプールから撮影開始」「積極的な現地軍の援助」「ゴム屑で戦火再現」「だらしのない英国の捕虜」「南方住民と映画」「全力をあげて、悔ひなき努力」 に分かれている。

P.41
「大映の総力を挙げて 「シンガポール総攻撃」完成にあたりて」 事務取締役 永田雅一、大映東京所長 須田鐘太

P.42-46
「敢闘の記録 「シンガポール総攻撃」撮影日誌」 撮影助手 水野治

P.47-要確認
「物語 シンガポール総攻撃 永見隆二作「シンガポール総攻撃」より 石川達三、佐藤敬・ゑ


昭和18年8月号 P.24-25
「話題の作品検討 「シンガポール総攻撃」について」 津村秀夫


昭和18年8月号 P.36-39
「昭南島で観た映画」 神崎不二雄
→副題は「昭南島に駐屯した皇軍の一兵士が、僅かの余暇に映画を観て、南方へはこんな映画を送れと、切々の叫びをよせてきました。」












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『映画』

昭和17年2月号 P.50-51
「狂乱のシンガポール」 齊藤達雄

昭和17年4月号
「不落の牙城シンガポールもつひに陥ちたり!」
→キネマスタア達のシンガポール陥落祝賀行事の写真

昭和17年7月号 P.74-75
「体験にものを云はせて」 齊藤達雄

昭和17年8月号 P.38-39
「「マレー血戦記」先発隊第一報

昭和18年2月号 P.34-38
「「シンガポール総攻撃」と新らしい戦争映画」 陸軍報道部 陸軍少佐 西山勝、大映第二撮影所企画部長 三浦信夫
→「「シンガポール総攻撃」の製作意図」「劇と記録映画の相違」「出来れば敵軍を主体に」「現地に於ける心構え」 に分かれている。

昭和18年5月号
P.20-24
「「シンガポール総攻撃 特集」 大映東京撮影所宣伝部
→「陸の大戦果をとり上げた意義と製作の抱負と覚悟」「撮影隊は兵隊さんと肩を並べて再び歴史的進撃を」「想起せよ!英国の東亜侵略と皇軍の果敢な勇戦を」 に分かれている。

P.24-25
「私の撃ちてし止まむの記 思出のシンガポール」 村田宏壽


昭和18年7月号 P.34-35
「興味と国策の渾然たる結晶 南方初の活劇映画「マライの虎」 尾山峻




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『映画旬報』

昭和17年6月11日号(50号)P.8-14
「三木茂氏の南方報告」 三木茂、飯田心美、友田純一郎、池田照勝、林勝俊
→「日本の軍報道班は独逸のPKとは違ふ」「軍の意志で映画を撮る」「軍製作記録映画「昭南島」の話」「南方の撮影条件苦渋なし」「最も重要な問題は現地への娯楽補給である」「アメリカ映画の技術を追究せよ」「南方輸出の諸条件」「技術の革新について」「現地の娯楽状態は?」に分かれている。


昭和17年7月1日号(52号)
P.10-12
「マレー人はどんな映画を好むか」 南方派遣軍報道部 三木茂

P.13-15
「昭南と映画」 陸軍報道班員 北町一郎


昭和17年10月1日号(61号)

P.23- ◎要確認
「マレーの映画界」 田村幸彦
→「昭南の映画館」「日本映画」

P.28-29
「マレー映画界概要」 日本映画社文化映画部政策課海外班調査
→「上映映画」「観客層と其の嗜好」「映画館」「興行法及び認可料」「帰朝者の日本映画への要望」 に分かれている。


昭和17年10月11日号(62号) P.14
「マレー映画界寸見」 小木曽潤
→「昭南島」「クアラルンプール」「ピナン」の映画状況についての概説

昭和18年3月1日号(74号) P.22-23
「マライ映画断想」 小出英男

昭和18年4月1日号(77号) P.23-26
「映画詩眼に映じた馬来昭南」 北川象一
→「まへ置き」「昭南」「ゴム林」「錫」「公園」「イポの温泉」「歓楽場と住民」 に分かれている

昭和18年4月11日号(78号)
P.11
「昭南の映画館」
→「昭南随一の高層建築に在る大東亜劇場」「支那映画の看板」「インド映画のポスター」の写真、及び吉野弓亮による大東亜劇場のイラスト

P.11-13
「昭南島の映画館と劇場」 吉野弓亮
→「大東亜劇場」「南洋劇場(ボレロ劇団について)」 に分かれている

P.63-66
「昭南映画界管見」 徳川夢聲


昭和18年5月1日号 P.20-21
「"昭南"誕生前後 ―マライより還りて―」 映画配給社昭南支社 新館繁


昭和18年8月11日号 P.15-17
「馬来映画通信」 映画配給社昭南支社 神保璟一郎






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『新映画』

昭和17年 第二巻第七号 P.44-49
「陸軍報道班員 三木茂氏に南方縦横談を訊く」 野村裕也
→「従軍までの経過」「新作「昭南島」に就いて」「昭南島に於ける映画製作」「今後の南方映画」「昭南島で観た映画」「「映画国策の面」「次の作品」に分かれている。

昭和18年 第三巻第四号 P.82-83
「ロケ隊マライを征く」 三浦信夫
→「シンガポール総攻撃」撮影隊帰郷の日に書かれた記事


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『文化映画』

昭和17年9月号
扉ページ
「昭南島の誕生」

P.40-47
「昭南島誕生」の構成 マレー戦記第二部」 採録 三木茂

P.56-57
「マレー戦記 進撃の記録 昭和南島誕生」 登川尚佐


昭和18年7月号 P.48-53
「カメラ馬来を征く」 陸軍報道班員 本城久雄




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『映画評論』

昭和18年2月号 P.60-64
「マライで見た印度映画の感想」 小出英雄

昭和18年4月号
P.16-19
「マライで見た映画 文化政策を軸として」 寺崎浩

P.20-23
「昭南島・マライ随想」 永見隆二
→「まへがき」「日本文化の進撃」「南方向映画に就いて」「支那映画・印度映画」 に分かれている


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『映画技術』

昭和18年5月号
P.17-18, 48-要確認
「馬来方面撮影報告」 相坂操一
by tokyomonogatari | 2008-12-19 21:00 | 南方映画史メモ
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