カテゴリ:日本軍史料メモ( 13 )

戦場の小津安二郎の衣服と九四式軽装甲車について

戦場の小津安二郎写真掲載書誌目録

(1)戦前期の軍隊と小津安二郎

「大正13-14年頃 兵舎前の小津」 1年志願兵時代
田中眞澄(編)『全日記小津安二郎』(フィルムアート社, 1993) P.15

(2)中支戦線への出征と従軍

「1937年護国神社、出征を見送られる小津安二郎」
松竹(編)『小津安二郎 新発見』(講談社、1993) P.158

「1937年9月10日東京高輪の自宅、応召の日の小津安二郎と家族」
野田市郷土博物館展示解説図録 『小津安二郎と野田』(野田市郷土博物館, 2004) P.7

「上海に向かう輸送船「北昭丸」船内
田中眞澄『小津安二郎と戦争』(みすず書房, 2005) P.62

「1937年10月12日上海における小津安二郎」
→朝日新聞社撮影
小津安二郎は昭五式軍衣を着用。腰には通常の帯革(ベルト)ではなく拳銃帯革(ピストルベルト)を着用しており、
拳銃弾薬盒を付けている。また、拳銃用ランヤード(拳銃用吊り下げ紐)が見受けられ、
左肩から右腰にかけて掛けられているベルトは拳銃用ホルスターであると推断される。
小津安二郎が使用した拳銃については不明。日記にも表れない。
この写真で重要なのは、小津安二郎が詰襟の昭五式軍衣を着用している点であり、夏季用の折襟服を着用している写真ばかりの中で稀有なことにある。
この写真の小津は日章旗を旗竿に丸めて持っている。
→小津安二郎は戦場で日の丸の旗を振り戦友に合図をしていた。
「東京朝日新聞」昭和12年10月14日夕刊 「助手席の髭伍長/やあ小津監督/「もう砲弾のお見舞い」
田中眞澄『全発言小津安二郎1933-1945』(泰流社, 1987)P.96-97所収)参照。

「1938年1月12日、江蘇省句容にて山中貞雄と」
田中眞澄『小津安二郎全発言 1933-1945』(泰流社, 1987) 冒頭写真掲載頁4頁目(ノンブルが振られる前のページに掲載されている)
田中眞澄『小津安二郎と戦争』(みすず書房, 2005) P.67
『考える人 207年冬号』 P.63
同写真をトリムし、コントラストを強くしたものが、
「朝日歴史写真ライブラリー 戦争と庶民1940-49 ①大政翼賛から日米開戦」(朝日新聞社, 1995) P.141に掲載されている。

「1938年南京、小津安二郎と佐野周二と戦友」
松竹(編)『小津安二郎 新発見』(講談社、1993) P.159

「戦地で再会した佐野周二(左)と小津安二郎(1938年12月、中国・漢口で)」
「朝日歴史写真ライブラリー 戦争と庶民1940-49 ①大政翼賛から日米開戦」(朝日新聞社, 1995) P.140
小津は外套スタイル。軍刀を佩用。
佐野は昭五式軍衣スタイル。襟の兵科章は付けていない。

「戦地の中国で佐野周二と」
『文芸別冊 小津安二郎』 (河出書房新社, 2001)P.3
小津は折襟服。階級章は昭五式方式で肩に着用。
佐野は昭五式軍衣スタイルで襟の兵科章はなし。階級章は昭五式方式で肩に着用。
戦場での小津安二郎の軍服で特徴的なのが、戦闘帽に陸軍の星が見受けられないことである。
佐野周二の戦闘帽には陸軍の星が縫い付けられている正規のスタイルである。
同じ形のピケ帽を複数オーダーメイドし、「麦秋」の記念撮影のシーンで少年に帽子をかぶるか被らないかで逡巡させる小津の帽子へのこだわりからして、
小津の戦闘帽は支給品ではなく、私物だったのではないか、とも思われる。

戦場の小津安二郎の写真で着用されている上衣は、外套スタイルかまたは折襟服か上半身裸かであって、
詰襟の昭五式軍衣を着用しているものが不自然な程に少ない。
写真で小津が着用している折襟の軍服は九八式軍衣の導入以前から見受けられた夏季用の折襟服だと推測される。
なお、小津安二郎はその体格にフィットする軍服を得るのに苦労したらしく、以下のような発言がある。

「戦争中なにより困ったのは僕の身体が大きいでしょう。服が特大だというのです。代りが戦地ではない。縫工でもいてくれないとさがして歩く。又その為一昨年は大晦日まで夏服着ていた事があります。」
(初出「都新聞」1939年7月16日朝刊、田中眞澄『全発言小津安二郎1933-1945』(泰流社, 1987)P.102所収)

ただし、小津安二郎は1938年12月31日の日記に「冬の上衣始めて着る。」と書いており、
一昨年ではなく、昨年の大晦日まで夏服を着ていたらしい。

また、1938年12月25日の大正天皇祭の遥拝式を「軍衣が着られず欠席」している。
(小津の日記については、田中眞澄『全日記小津安二郎』 (フィルムアート社, 1993年)を参照)

長身のために合う軍服がなく、行事に参加出来なかった同様のケースとして、
写真家柳田芙美緒の事例がある。
1930年5月、昭和天皇が静岡連隊を閲兵した際に、柳田はその身体に合う軍服がないために、中隊当番勤務を命ぜられている。
→静岡新聞社編 『静岡連隊物語 ―柳田芙美緒が書き残した戦争―』 (静岡新聞社, 2009年)P.14を参照。

「1939年、ドラム缶風呂の小津安二郎と戦友」
松竹(編)『小津安二郎 新発見』(講談社、1993) P.158

「湯上り姿の小津安二郎、頭には手拭い、腰にはふんどし」
松竹(編)『小津安二郎 新発見』(講談社、1993) P.158

「川で洗濯をする小津安二郎」
松竹(編)『小津安二郎 新発見』(講談社、1993) P.160

小津は1939年1月4日の日記に「黒い褌 クリークに洗ふ」と書いている。

1939年3月、南昌攻略戦、修水河渡河作戦時の小津安二郎

南昌攻略作戦に参加した日本陸軍の部隊編成については、『一億人の昭和史 日本の戦史5, 日中戦争3』(毎日新聞社, 1979) P.112-113を参照。
小津安二郎の日記に「106D」として度々登場する第106歩兵師団の3月8日のガス演習の写真が同書P.112に、
小津安二郎が写った写真の背景に似た民家が写っている第106師団歩兵123連隊第3大隊の兵士たちの写真がP.115に掲載されており、
同書は小津日記と併読推奨。

「1939年3月18日か19日、修水河渡河作戦準備時の小津安二郎」
田中眞澄(編)『全日記小津安二郎』(フィルムアート社, 1993) P.18
小津安二郎も周りの兵士も、鉄帽をかぶっておらず、戦闘帽スタイルである。
おそらくこの写真の撮影時には雨は降っていない。

「1939年3月20日、修水河渡河作戦時の小津(引いたショット)」
田中眞澄『小津安二郎と戦争』(みすず書房, 2005) P.68
修水河渡河作戦時の小津安二郎の写真のうち、小津が鉄帽をかぶった写真は少なくとも2枚存在しており、
こちらは小津が写真右の方向を見ている。
田中(1993)P.15の写真と、背後の民家は同一であるが、
こちらは小津をはじめとする兵士たちは鉄帽をかぶり、携帯天幕を雨具として用いているようであり、
雨が降っていると推測される。

小津安二郎の1939年3月20日の日記には
「雨。今日ハ菜の花も蓮華畑も杏のさかりも雨の中にある。」と書かれている。

「1939年3月20日、修水河渡河作戦時の小津(寄ったショット)」
松竹(編)『小津安二郎 新発見』(講談社、1993) P.161
與那覇潤『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版, 2011) P.61
修水河渡河作戦時の小津が写っている写真の二枚目。
こちらは小津が写真奥の方向を見ている。やはり雨が降っていると推測される。

「「写真文化」に掲載された中支戦線風景」
田中眞澄『小津安二郎と戦争』(みすず書房, 2005) P.68

「中支戦線風景。場所は上海付近」
田中眞澄『小津安二郎と戦争』(みすず書房, 2005) P.72

「1939年、木箱に座り食事をする小津」
田中眞澄(編)『全日記小津安二郎』(フィルムアート社, 1993) P.16
松竹(編)『小津安二郎 新発見』(講談社、1993) P.159
『考える人 2007年冬号』(新潮社, 2007)P.25

この木箱に座って食事中の小津安二郎が着用しているのは、いつもの折襟の軍服ではなく、
詰襟の昭五式軍衣であろうと思われる。

「中支戦線にて「班長さん」、草上の昼食」
田中眞澄『小津安二郎と戦争』(みすず書房, 2005) P.75

「軍用トラックに腰かける小津安二郎」
田中眞澄(編)『全日記小津安二郎』(フィルムアート社, 1993) P.16

軍用トラックのフロントガラスに、扇の部隊マークが描かれているらしい点に注意。

「中支戦線にて読書する小津」
田中眞澄『小津安二郎と戦争』(みすず書房, 2005) P.144

「戦地でも欠かさぬ読書」
與那覇潤『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版, 2011) P.24

「草野球でバッターボックスに立つ」
松竹(編)『小津安二郎 新発見』(講談社、1993) P.159

「戦地の子供と小津安二郎と戦友」
松竹(編)『小津安二郎 新発見』(講談社、1993) P.161

「南京と思われる城内での兵士・小津安二郎」
與那覇潤『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版, 2011) カバー

「ライカを構える小津安二郎」
田中眞澄(編)『全日記小津安二郎』(フィルムアート社, 1993) P.18
與那覇潤『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版, 2011) P.157
腰には軍刀。

「釣竿を手に戦地での憩いのひととき」
與那覇潤『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版, 2011) P.195

小津安二郎 × 装甲戦闘車輛

「九四式軽装甲車に座る小津安二郎と戦車兵」
→小津とAFVが写っている写真として唯一の存在。
田中眞澄(編)『全日記小津安二郎』(フィルムアート社, 1993) P.17
大きめに掲載されたものとして、
『考える人 2007年冬号』 P.61
周辺がトリムされたものとしては、
『文芸別冊 小津安二郎』 (河出書房新社, 2001) P.189
與那覇潤『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版, 2011) P.102

小津が座っている九四式軽装甲車の車輛番号は209、扇に日の丸のマーキングが車体下部に描かれている。
小津の横に座る兵士は戦車兵用防塵眼鏡からこの車輛の搭乗員であろうと推測される。
小津の腰には軍刀が見当たらない。
なお、小津安二郎は九四式軽装甲車がお気に入りだったのか、
中国戦線から帰国後、関係者に配布した手拭いに、扇のマークが車体下部についた九四式軽装甲車を描いている。

九四式軽装甲車を描いた手拭い(江東区古石場文化センター所蔵)の図版は、
野田市郷土博物館展示解説図録 『小津安二郎と野田』(野田市郷土博物館, 2004) P.7 図版7 手ぬぐい を参照。
手拭いの左側には、「中支派遣軍 指宿部隊 小津安二郎」と書かれている。
P.14の解説では、扇のマークは「小津が所属した指宿部隊の印である」としている。

指宿部隊(いぶすきぶたい)
→指宿三郎少佐の指揮する野戦瓦斯第二中隊(甲)

小津日記 1939年3月18日の「資材 red 8」は毒ガスあか剤8本、3月20日の「特種筒放射の命令」は毒ガス放射の命令を指すとされている。

※小津安二郎の日記における戦車描写

1939年1月15日
「戦車」

田中眞澄(編)『全日記小津安二郎』(フィルムアート社, 1993)収録の小津日記で、初めて戦車が登場するのは、
1939年1月15日である。ここで書かれている「戦車」は、小津日記に頻出する「LTK」と意識的に書き分けられているかは不明。

1939年1月21日
「LTK」

「LTK」は軽装甲車を指す。
田中眞澄『小津安二郎と戦争』(みすず書房, 2005)所収の「陣中日記」を参照。
小津日記の「LTK」=軽装甲車は、全ての場合で九四式軽装甲車を指していると思われる。

1939年1月29日
「LTK」

1939年2月8日
「LTK」

1939年2月22日
「LTK」

1939年3月22日
「LTK」

1939年3月26日
「戦車壕」

1939年3月29日
「LTK」

1939年3月30日
「LTK」

1939年4月10日
「LTK」

1939年4月12日
「戦車壕補修」
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扇のマークのついた九四式軽装甲車の写真
『一億人の昭和史 日本の戦史4 日中戦争2』(毎日新聞社, 1979) P.190
『グランドパワー』 No.081(デルタ出版, 2001) P.69
「信陽に入場した九四式軽装甲車」の写真。車体左後方部上方からの撮影。
車体後部ハッチとキャリヤー後部パネルに扇のマークのついた二輌が写っている。
車体前部に書かれている車輌番号は判らず、後方の一輌の砲塔後部に書かれている漢字について、
高荷義之氏は「旋風」であると推測しており、扇のマークを「野戦瓦斯隊」のマークであるとしている。
(「鉄獅子通信6」『アーマーモデリング』 Vol.31, P.81)
小津安二郎が座っている扇のマークの九四式軽装甲車は、野戦瓦斯隊所属車輛であるとすると、
小津の所属部隊が野戦瓦斯第二中隊であることとも似つかわしい。

なお、信陽での小津安二郎のインタヴュー記事が「東京朝日新聞」昭和13年11月6日夕刊に掲載されている。
「秋晴れの戦線に/魚獲りの興味/監督小津軍装の気焔」(田中眞澄『全発言小津安二郎1933-1945』(泰流社, 1987)P.99-100所収)

『支那事変写真帖』にも扇のマークの九四式軽装甲車の写真が掲載されているとのことで、
「鉄獅子通信6」にはその写真も掲載されており、扇マークの202号と204号のイラストも付されている。
小津の座っている車両は209号であり、やはり同部隊の車両であると推測される。
もし、車輌番号の百の位が中隊を意味するならば、小津の所属部隊である野戦瓦斯第二中隊に所属する車両そのものとなる。

九四式軽装甲車については、高荷義之氏の「鉄獅子通信」が必読。
「鉄獅子通信」記事目録
「九四式軽装甲車隊(その1)」(『アーマーモデリング』 Vol.26 P.92-93)
「九四式軽装甲車隊(その2)」戦車大隊における九四式軽装甲車の解説(『アーマーモデリング』 Vol.27 P.20-21)
「九四式軽装甲車隊(その3)」支那駐屯地戦車隊の解説(『アーマーモデリング』 Vol.28 P.84-85)
「九四式軽装甲車隊(その5)」独立軽装甲車第六中隊における九四式軽装甲車のマーキング(『アーマーモデリング』 Vol.30 P.80-81)
「九四式軽装甲車隊(その6)」独立軽装甲車第七中隊における九四式軽装甲車のマーキング(『アーマーモデリング』 Vol.30 P.80-81)
「九四式軽装甲車隊(その7)」独立軽装甲車第八中隊における九四式軽装甲車のマーキング(『アーマーモデリング』 Vol.32 P.80-81)
「九四式軽装甲車隊(その8)」独立軽装甲車第九中隊における九四式軽装甲車のマーキング(『アーマーモデリング』 Vol.33 P.78-79)
「九四式軽装甲車隊(その9)」戦車第十中隊における九四式軽装甲車のマーキング(『アーマーモデリング』 Vol.34 P.56-57)
「九四式軽装甲車隊(その10)」独立軽装甲車第十一中隊、第十二中隊における九四式軽装甲車のマーキング(『アーマーモデリング』 Vol.35 P.58-59)
「九四式軽装甲車隊(その11)」独立軽装甲車第五一中隊における九四式軽装甲車のマーキング(『アーマーモデリング』 Vol.36 P.54-55)
「九四式軽装甲車隊(その12)独立軽装甲車第五十二中隊における九四式軽装甲車のマーキング(『アーマーモデリング』 Vol.37 P.58-59)
「九四式軽装甲車隊(その13)」戦車第十二連隊における九四式軽装甲車のマーキング(『アーマーモデリング』 Vol.34 P.58-59)
→第二野戦瓦斯隊に関する記述あり。

九四式軽装甲車の整備写真
→大阪毎日新聞写真部撮影「津浦戦線 軽戦車の修理 カメラ山上」(昭和13年5月)
『シリーズ20世紀の記憶 不許可写真2』(毎日新聞社, 1999年)P. 33に掲載
『不許可写真1』『不許可写真2』は日中戦争期の日本軍写真資料として必携。

九四式軽装甲車を利用して洗濯物を干す
→村瀬守保『<新版>私の従軍中国戦線』(日本機関誌出版センター, 2005)P.152写真
村瀬守保(1909-1988)は日本陸軍輜重兵として中国戦線に従軍(1937-1940)。内地で購入したベビーパール・ヘキサー4.5と、上海租界で購入した二眼レフで戦場を撮影。

九四式軽装甲車のターレットリング
→村瀬守保『<新版>私の従軍中国戦線』(日本機関誌出版センター, 2005)P.149写真
横転して砲塔が外れた九四式軽装甲車の写真。

全ハッチ開状態の九四式軽装甲車
→『別冊一億人の昭和史 日本の戦史別冊5 兵器大図鑑』(毎日新聞社, 1980)P.124写真
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by tokyomonogatari | 2012-03-19 23:26 | 日本軍史料メモ | Comments(0)

1/35 九七式中戦車系列メモ(書き途中)

(1)先行研究・文献

『グランドパワー2004年4月号』(No.119, ガリレオ出版)
→特集「日本軍中戦車(1)」

『グランドパワー2004年5月号』(No.120, ガリレオ出版)
→特集「日本軍中戦車(2)」

『グランドパワー2016年2月号』(No.261,ガリレオ出版)
→特集「日本陸軍九七式中戦車」

吉川和篤『写真集 九七式中戦車』(伊太利堂, 2016)

国本康文『九七式五糎七戦車砲 図面集』(国本戦車塾, 2015)

小玉克幸『九七式中戦車公表写真集~知られたるわれ等の新鋭戦車~』(国本戦車塾, 2016)

現存する日本軍中戦車については、以下を参照。
http://the.shadock.free.fr/Surviving_Japanese_Medium_Tanks.pdf

(2)模型

1/35 Japanese Type 97 Medium Tank (Chi-Ha)

Tamiya Sprocket Wheel
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Fine Molds Sprocket Wheels

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Tamiya Idler Wheel
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Fine Molds Idler Wheels

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Tamiya Road Wheel
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Tamiya Road Wheel Hub Cap
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Fine Molds Road Wheel

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Fine Molds Road Wheel Hub Cap

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Tamiya Return Roller
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Fine Molds Return Roller

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Decals

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↑Fine Molds FM25-LM
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↑Fine Molds FM25
by tokyomonogatari | 2012-03-18 22:24 | 日本軍史料メモ | Comments(0)

日本陸海軍軍装資料文献メモ

(日本陸海軍軍装品資料本)

中西立太『日本の軍装』(大日本絵画, 1991)
→昭五式以降の日本軍服飾史の必携必須本。

兵頭二十八『日本の陸軍歩兵兵器』(銀河出版, 1995)
→日本軍の各種小火器の解説。全頁モノクロ。

中西立太『日本の歩兵火器』(大日本絵画, 1998)
→『日本の軍装』と並んで必読。必携。

中西立太、田中正人『図解 日本陸軍歩兵』(並木書房, 1996)
→図版は日中、太平洋戦争期であるが、読み物部分は明治建軍以降を扱っており、日本陸軍通史として必読。

上田信『日本戦車隊戦史』(大日本絵画, 2005)
→ノモンハン事件以降の戦線ごとの装備車輛と軍装についてイラストで解説。
中西立太(1991)のイラストと併読すると良い。
2005年に初版、2016年に改訂された二版が出ている。

中田忠夫『大日本帝国陸海軍 軍装と装備1』(中田商店, 1997)
→軍服と各種装備品のカラー写真が網羅的に掲載された本として必携。
写真は豊富であるが装備品について解説文がないため、他の資料で事前に勉強しておかないと読みこなせない。
P.214に九二式電話機が3台掲載されており、フタ裏の取扱要領及び回路図のバリエーションを見てとれる。
なお、九二式電話機の同じ写真をトリムしたものが、『日本軍兵器総覧(一) 帝国陸軍編 昭和十二年~二十年』(デルタ出版, 2001)P.188に掲載されているが、モノクロであり、製造会社名も記載されていない。
なお、『日本陸軍兵器総覧(一)]P.9の写真のキャプション「ニューギニア戦線で銃器の手入れをする歩兵」は明らかに「中国戦線」の間違いである。

中田商店『大日本帝国陸海軍 軍装と装備2』(中田商店, 2010)
→1巻と合わせて必携。カラー写真による日本陸海軍の装備品本でこの2冊は必携必須。
P.285に九二式小絡車と九二式小絡車巻匡が掲載されているが、それに巻かれている被覆線の色がグレーであることに注意。
九二式小絡車に巻かれた電話線、九二式小被覆線の色は黄色であると思われる。

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↑九二式小被覆線及び九二式小絡車(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館所蔵)

『帝国陸軍 戦場の衣食住』(学研, 2002)
→日本陸軍の軍服、装備品、小物についての入門書として最適。
中田商店本2冊や、アウグスティン・サイス(2012)を読む前に読んでおくと良い本。
日本陸海軍の食事や避妊具については、藤田昌雄氏の別著で更に詳述されており併読必須。

アウグスティン・サイス『日本軍装備大図鑑 制服・兵器から日用品まで』(原書房, 2012)
→Andrea Press "Heitai"の翻訳本。掲載されているアイテムは豊富であるが軍衣よりも装備品や小物がより充実している。
日本軍の装備品や小物について、アウグスティン・サイス(2012)と中田商店本の2冊(1997, 2010)があればもう安心という印象。
装備品や小物よりも、軍服の細部まで判るカラー写真を望む人にはHewitt(2006)の方がオススメ出来ると思う。

Philip Warner, "Japanese Army of World War 2"(Osprey Publishing, 1973)
→第二次大戦期の日本陸軍についてオスプレイ社らしく簡潔にまとめている本かと思いきや、海軍の桜花の写真が出てきたりして面食らう本。
Michael Youens氏による日本軍兵士の図版は全てどこかしら怪しくて参考にならない。
外国人による日本兵表象史の資料として書棚に挿しておきたい本。

Philip Jowett, "The Japanese Army 1931-45 (1) 1931-42"(Osprey Publishing, 2002)
→Warner(1972)本のMichael Youens氏による日本兵の図版よりも、
こちらの本のStephen Andrew氏よる日本兵の図版は100倍以上参考になる。
何にも増して感動的なのは防蚊面を持った兵士が描かれているところに尽きる。

Philip Jowett, "The Japanese Army 1931-45 (2) 1942-45"(Osprey Publishing, 2002)
→1945年3月ビルマで鹵獲された九五式軽戦車の中で、イギリス軍戦車兵が発見した日本陸軍戦車兵の写真が必見。(P.45)

Gordon L Rottman, "Japanese Infantryman 1937-45, Sword of the Empire"(Osprey Publishing, 2005)
→Osprey men at armsシリーズの兵士ひとりひとりの図版ではなく、
装備品が数多く描かれるタイプの図版と、情景全体が描かれるタイプの図版を収録。
図版以外のページについては、日本兵について広く浅く記述。
Jowett(2002)の装備品の図版を補う本という印象。

Mike Hewitt, "Uniforms and Equipment of the Imperial Japanese Army in World War 2"(Schiffer Military History, 2006)
→洋書で買うべき日本陸軍軍装本は、これ以上のものは存在しないと思う。
各種軍衣について大判の写真で解説。装備品類の写真はそんなに多くはないものの、
日本陸軍兵士のフィギュアを作り、塗る上で、この本以上に参考になる洋書はない。
中西立太『日本の軍装』はカラーイラストとして最高の資料本である一方で、
最高のカラー写真による日本陸軍軍服資料本は、Hewitt(2006)であると思う。
日本陸軍の軍装について、二冊だけ選書せよと言われれば、躊躇うことなく中西(1991)とHewitt(2006)を推薦したい。

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『一億人の昭和史 日本の戦史3 日中戦争1』
『一億人の昭和史 日本の戦史4 日中戦争2』
『一億人の昭和史 日本の戦史5 日中戦争3』
『一億人の昭和史 日本の戦史6 日中戦争4』
『一億人の昭和史 日本の戦史7 太平洋戦争1』
『一億人の昭和史 日本の戦史8 太平洋戦争2』
『一億人の昭和史 日本の戦史9 太平洋戦争3』
『一億人の昭和史 日本の戦史10 太平洋戦争4』

→毎日新聞社の『一億人の昭和史』シリーズは通読必須。とりわけ『日本の戦史』シリーズは日本軍の写真史料として比類ない良書。
古書としても手に入れやすいため、必携必須本。

伊藤常男「作戦と行軍」『一億人の昭和史 日本の戦史4 日中戦争2』(毎日新聞社, 1979)P.119-121
→P.121には加藤孝雄氏によるイラスト「完全軍装」の日本陸軍兵士が掲載されている。

日本陸軍戦車兵「生」図鑑 「第1回、作業衣袴と夏用戦車帽」『Armour Modelling』 Vol.132
日本陸軍戦車兵「生」図鑑 「第2回、昭五式軍衣袴」『Armour Modeling』 Vol.133
日本陸軍戦車兵「生」図鑑 「第3回、九八式軍衣袴」『Armour Modelling』 Vol.134
日本陸軍戦車兵「生」図鑑 「第4回、戦車用防寒被服」『Armour Modelling』 Vol.135

→軍装を着用して土浦武器学校の八九式中戦車に搭乗している記事として貴重。軍装の色味も判りやすい。

浦野雄一「帝国陸軍機甲部隊の塗装と識別標識 第9回 戦車兵について」 『Armour Modelling』Vol.9, P.98-99
→日本陸軍戦車兵の軍装について、イラストと文章で解説

藤田昌雄「戦車兵の被服と装備」 『帝国陸軍 戦車と砲戦車』(学研, 2002)P.168-170
→日本陸軍戦車兵の軍装について、写真・イラスト・文章で解説

ゴードン・L・ロトマン&滝沢彰『第二次大戦の帝国陸軍戦車隊』(大日本絵画, 2009)
→P.33-35の「戦車兵」で日本陸軍戦車兵の軍装についての解説がある。
この本では戦車帽について「九二式戦車兵帽」と書かれているが(P.33, P.35)、監修者注として鈴木邦宏氏が「この表記はみたことがない」(P.35)としている。
確かにこの本のみに見受けられる形式表記である。

寺本弘『戦車隊よもやま物語』(光人社NF文庫 2004) P.248-250
→マレー半島における日本陸軍戦車将校の軍装について

寺本弘『戦車隊よもやま物語』(光人社NF文庫 2004) P.249
→日本陸軍戦車将校の私物の範囲について

宗像和広/兵頭二十八(編著)『日本陸軍兵器資料集』(並木書房, 1999)P.80
→日本陸軍将校の軍装の調達費用について

樋口隆晴「日本軍戦車 その誕生から終焉」『モデルアート』No. 530, 1999年2月号 P.51
→日本陸軍戦車兵についてのイラストと解説文。

石山俊浩(監修),アナクロニズム45(著)『第二次世界大戦軍装ガイド 1939-1945』
→P.225の「ゲートルの巻き方」が必見。
by tokyomonogatari | 2012-03-18 00:01 | 日本軍史料メモ | Comments(0)

日本陸軍装備品史ノート(書き途中)

戦車眼鏡の紐の色について
指揮官識別として紐が白のものが用いられた。
→古田和豊 「日本軍バカ一直線・古田和豊 恥ずかしながら○○てまいりました 第弐回「九七式指揮戦車(シキ車)を作ってまいりました」
Armour Modelling Vol. 130, P.104

戦車兵の編上靴の底には鋲がない
戦車兵などが用いた編上靴の底は鋲がない平らなものだった。
→古田和豊 「日本軍バカ一直線・古田和豊 恥ずかしながら○○てまいりました 第弐回「九七式指揮戦車(シキ車)を作ってまいりました」
Armour Modelling Vol. 130, P.104

「基本装備は第二種作業衣袴に戦車帽、戦車眼鏡に拳銃、ゲートルにゴム底の編み上げ靴と帯革と銃剣であった。」
→浦野雄一「帝国陸軍機甲部隊の塗装と識別標識」 『Armour Modelling』Vol.9, P.99

日本軍の腕章資料目録
中西立太『日本の軍装 改訂版』(大日本絵画, 1999)P.26
→憲兵隊腕章のサイズの記載あり。

中田忠夫『大日本帝国陸海軍 軍装と装備 明治・大正・昭和 1』(中田商店, 1997)P.195
→S.L.Mayer, "The Japanese War Machine"(Bison Books 1984)P,65に同じ図版が掲載されている。

中田商店『大日本帝国陸海軍 軍装と装備 明治・大正・昭和 2』(中田商店, 2010)P.296
→「泉北郡取石村 国民義勇戦闘戦隊長補」腕章の写真あり。

日本陸軍階級の英文表記
元帥 Gen-sui, (Field Marshal)
大将 Tai-sho, (General)
中将 Chu-jo, (Lieutenant General)
少将 Sho-sho, (Major General)
大尉 Tai-sa, (Colonel)
中佐 Chu-sa, (Lieutenant Colonel)
少佐 Sho-sa, (Major)
大尉 Tai-i, (Captain)
中尉 Chu-i, (First Lieutenant)
少尉 Sho-i, (Second Lieutenant)
准尉 Jun-i, (Warrant Officer 1)
曹長 So-cho, (Warrant Officer 2) or (Staff Sergeant)or (Sergeant Major)
軍曹 Gun-so, (Sergeant)
伍長 Go-cho, (Corporal)
兵長 Hei-cho, (Acting Corporal) or (Lance Corporal)
伍長勤務上等兵 Go-cho Kinmu Joto-hei, (Acting Corporal)
上等兵 Joto-hei, (Superior Private) or (Senior Private) or (Corporal)
上等兵勤務者 Joto-hei Kinmu Sha, (Acting Superior Private) or (Acting Senior Private) or (Acting Corporal)
一等兵 Itto-hei, (Private First Class, trained) or (Private First Class)
二等兵 Nito-hei, (Private Second Class, recruit) or (Private Second Class)

「兵科」「兵種」
「兵科」は「憲兵科」を除いて昭和15年に廃止、以降は「兵種」となる。
→「帝国陸軍用語解説」『ドキッ乙女だらけの帝国陸軍入門』(イカロス出版, 2007)P.36

海軍予備学生の軽戦車訓練
→『学徒出陣 海軍予備学生の記録 真継不二夫写真集』(朝日新聞社、1966)P.93に写真あり。
訓練に用いられているのは九五式軽戦車。車体前部のプレートには海軍のイカリマーク。

ノモンハン事件の経理部
→『別冊 一億人の昭和史 日本陸軍史 日本の戦史別巻1』(毎日新聞社, 1979)P.232に第23師団の野戦経理部の写真あり。昭五式軍衣と九八式軍衣の将校が並んで写っている。

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各種双眼鏡

十三年式双眼鏡
→宗像和広/兵頭二十八(編著)『日本陸軍兵器資料集』(並木書房, 1999)P.71

八九式双眼鏡
→宗像和広/兵頭二十八(編著)『日本陸軍兵器資料集』(並木書房, 1999)P.70

九三式双眼鏡
→宗像和広/兵頭二十八(編著)『日本陸軍兵器資料集』(並木書房, 1999)P.68

双眼鏡性能一覧
→宗像和広/兵頭二十八(編著)『日本陸軍兵器資料集』(並木書房, 1999)P.71

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将校の軍刀

九四式軍刀拵え
→吊輪2つ

九八式軍刀拵え
→吊輪1つ

刀緒の色
→佐官は刀緒の内側の色は赤、尉官は刀緒の内側の色は青。


→鐔についてのハンディな資料として、
小笠原信夫『鐔』(保育社,1975)がある。
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将校のベルトとピストルベルトの位置
→将校の上着から巻かれる二本のベルトは、太い方が胴締め=ベルト=帯革であり、
細く、小さな弾薬盒がつけられている場合があるものが、拳銃用帯革=ピストルベルトである。
拳銃用帯革は、拳銃用弾薬盒を付ける都合上、胴締めを巻いた上から巻かれるが、
胴締めの位置に比べて上方にある事が一般的である。
しかし、拳銃用帯革が胴締めに対して下方に締められている場合もある。
(ex. Anthony Tucker-Jones, "IMAGES OF WAR, Armoured Warfare in the Korean War" (Pen & Sword Military, 2012) P.3

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村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』 間宮中尉メモ

戦前       大学で地誌学を専攻
1937年初め 満州新京関東軍参謀本部に少尉として着任、兵要地誌班に配属。
1938年4月 参謀本部の上官に平服の男、山本を紹介される。
          山本、参謀本部付・浜野軍曹、第七師団所属・本田伍長とともにホロンバイル草原の外蒙古との国境地帯の調査及び警護任務にあたる。

間宮中尉 ブローニング拳銃 途中で将校用長靴→ゲートルに代える 煙草 水筒 双眼鏡 地図 磁石
山本   ブローニング拳銃 煙草 水筒 革鞄
浜野軍曹 三八式歩兵銃、拳銃、手榴弾2つ ゲートル
本田伍長 三八式歩兵銃、拳銃、手榴弾2つ

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日本兵と小火器の負革
日本兵の小銃の携行法は基本的には肩に担ぐ方式である。

(三八式歩兵銃は)「銃身が長いので米兵のように小銃のベルトを肩に吊るして運ぶということはほとんどしなかった。」
→太平洋戦争研究会(編著)『貴重写真で見る 日本軍陸戦兵器総覧』(学研,2010)P.173

右肩から左肩に担ぎなおすことを「替え銃」と言い、本来は命令が出なければ「替え銃」をしてはならないが、
戦場では厳密に守られずに、各人好きなタイミングで「替え銃」をした。
→棟田博「戦争とは歩くことなり」『一億人の昭和史 日本の戦史4 日中戦争2』P.124参照

日本兵が小火器をスリングで背負うケース

基本的には担ぐ携行方法であったが、スリングで肩から吊り下げることも行われた。

(1)自明のことであるが、手がふさがる場合、小銃はスリングで背負われがちである
(ex.)
鉄条網をペンチで切断する兵士は小銃をスリングで背負っている
→太平洋戦争研究会(編著)『貴重写真で見る 日本軍陸戦兵器総覧』(学研,2010)P.173写真

三年式重機を運ぶ兵士は小銃をスリングで背負っている
→太平洋戦争研究会(編著)『貴重写真で見る 日本軍陸戦兵器総覧』(学研,2010)P.184写真
及び『別冊一億人の昭和史 日本の戦史別冊5 兵器大図鑑』(毎日新聞社, 1980)P.51写真

担架を運ぶ兵士は小銃をスリングで背負っている
→『一億人の昭和史 日本の戦史5 日中戦争3』(毎日新聞社, 1979)P.92-93写真

馬に乗る兵士は小銃をスリングで背負っている
→『一億人の昭和史 日本の戦史5 日中戦争3』(毎日新聞社, 1979)P.59写真

一人用ボートに乗り、両手にパドルを持つ兵士は小銃をスリングで背負っている
→Philip Warner "Japanese Army of World War 2" (Osprey Publishing, 1973)P.36写真

1942年春、フィリピン、双眼鏡を持つ海軍陸戦隊兵士は小銃をスリングで背負っている
→Philip Jowett "The Japanese Army 1931-45 (1) 1931-42" (Osprey Publishing, 2002)P.20写真

(2)両手がふさがっていない状況でも、スリングで小銃を背負うケースがある
(ex.)
陸軍兵士
→『一億人の昭和史 日本の戦史5 日中戦争3』(毎日新聞社, 1979)P.98

海軍陸戦隊兵士
→『一億人の昭和史 日本の戦史5 日中戦争3』(毎日新聞社, 1979)P.85写真

※イギリスOsprey Publishing "men at arms"シリーズにおける日本兵とスリングの描写
Philip Jowett "The Japanese Army 1931-45 (1) 1931-42" (Osprey Publishing, 2002)
の図版カラーイラストでは2人の兵士がスリングで小銃を肩に背負い、
Philip Jowett "The Japanese Army 1931-45 (2) 1942-45" (Osprey Publishing, 2002)
の図版カラーイラストでは3人の兵士がスリングで小銃を肩に背負っているが、
解説文には日本兵がスリングで小銃を背負うこと、についての言及はされていない。
日本兵がスリングで小銃を背負う描写は間違いとは言えないが、あまり一般的ではない携行方法と言えそうである。
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防蚊面の携行
→『一億人の昭和史 日本の戦史5 日中戦争3』(毎日新聞社, 1979)P.7写真

野営用の蚊帳
→『一億人の昭和史 日本の戦史5 日中戦争3』(毎日新聞社, 1979)P.192写真
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三十年式銃剣

バリエーション
→『別冊一億人の昭和史 日本の戦史別冊5 兵器大図鑑』(毎日新聞社, 1980)P.45
→アウグスティン・サイス『日本軍装備大図鑑』(原書房, 2012)P.164-167
を参照。


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出版・印刷物資料目録

徴兵検査通達書
藤原彰(監)『復刻版 戦争実物資料 平和への伝言』(あけび書房 1992年)
→復刻実物資料32点が収録されている資料。古書として手に入れやすい。
ただし、実物が両面印刷されているものの場合、片面のみが印刷復刻されている。

臨時召集令状(赤紙) akagami=conscription notice
藤原彰(監)『復刻版 戦争実物資料 平和への伝言』(あけび書房 1992年)

従軍証明書
藤原彰(監)『復刻版 戦争実物資料 平和への伝言』(あけび書房 1992年)

兵籍簿
『別冊 一億人の昭和史 日本陸軍史 日本の戦史別巻1』(毎日新聞社, 1979)P.10

功績名簿
『別冊 一億人の昭和史 日本陸軍史 日本の戦史別巻1』(毎日新聞社, 1979)P.11

戦時死亡者ノ件内報
『別冊 一億人の昭和史 日本陸軍史 日本の戦史別巻1』(毎日新聞社, 1979)P.9

赤紙など兵事書類を扱ったのは市町村役場の兵事係である。
「東京物語」(1953)では、十朱久雄が演じた「服部修」は兵事係だったという設定である。
兵事係については、吉田敏浩『赤紙と徴兵 105歳 最後の兵事係の証言から』(彩流社, 2011)参照。

戦場の新聞閲覧所
→『アサヒグラフ』1938年10月12日号に写真あり。「大阪東京朝日新聞新聞閲覧所」で新聞を読む兵隊。

新聞の復刻版
→『新聞復刻版 昭和史 下 激動編(太平洋戦争から講和・独立)』(研秀出版)
太平洋戦争から占領期にかけての新聞の主要紙面の復刻版が33収められている。
「東京日日新聞」昭和16年12月9日夕刊
「東京日日新聞」昭和16年12月10日
「大阪毎日新聞」昭和17年1月1日
「大阪毎日新聞」昭和17年1月4日
「大阪毎日新聞」昭和17年2月16日
「大阪毎日新聞」昭和17年3月10日
「大阪毎日新聞」昭和17年5月8日
「東京日日新聞」昭和17年6月11日
「大阪毎日新聞」昭和17年9月17日
「大阪毎日新聞」昭和17年10月20日
「東京日日新聞」昭和17年12月8日
「毎日新聞(大阪)」昭和18年5月27日
「毎日新聞(東京)」昭和18年5月31日
「毎日新聞(東京)」昭和18年10月21日
「毎日新聞(東京)」昭和19年7月19日
「毎日新聞(東京)」昭和20年1月28日
「毎日新聞(東京)」昭和20年2月23日
「毎日新聞(東京)」昭和20年8月8日
「毎日新聞(東京)」昭和20年8月10日
「毎日新聞(東京)」昭和20年8月15日
「毎日新聞(東京)」昭和20年9月3日
「毎日新聞(東京)」昭和20年9月29日
「毎日新聞(東京)」昭和21年4月30日
「毎日新聞(東京)」昭和21年11月4日
「毎日新聞(東京)」昭和22年2月1日
「毎日新聞(東京)」昭和23年9月28日
「毎日新聞(東京)」昭和23年11月13日
「毎日新聞(東京)」昭和24年6月28日
「毎日新聞(東京)」昭和24年7月7日
「毎日新聞(東京)」昭和24年8月18日
「毎日新聞(東京)」昭和25年6月7日
「毎日新聞(東京)」昭和26年4月12日
「毎日新聞(大阪)」昭和26年9月10日
by tokyomonogatari | 2012-03-17 00:19 | 日本軍史料メモ | Comments(0)

日本陸軍装備品史ノート(2)

日本軍宣撫官史料メモ

「宣撫と抗日」『グラフィックカラー昭和史4 大陸の戦火』(研秀出版, 1980)P.24-25

森田康一「宣撫工作の実態」『グラフィックカラー昭和史4 大陸の戦火』(研秀出版, 1980)P.90-91

青江舜二郎『大日本軍宣撫官』(芙蓉書房, 1970)

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帝国陸軍機甲部隊の塗装と識別標識記事目録

第1回 九七式中戦車の塗装とマーキング Armour Modelling Vol.1 P.100-101, 105-108

第2回 九七式中戦車改の塗装とマーキング Armour Modelling Vol.2 P.98-101
→チハ改の初陣について「タミヤの解説書には昭和十七年五月のコレヒドール戦からとなっているが、実際には四月のバターン戦からである」と指摘あり。
→同号P.84-86に富岡吉勝氏による九七式中戦車(チハ)標準型の1/35図面あり

第3回 八九式戦車と戦車第一連隊の車両マーキング Armour Modelling Vol.3 P.16-20
→同号P.36-37に富岡吉勝氏による三式中戦車(チヌ)の1/35図面あり

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日本軍車輌マーキングメモ

Fine Molds, FM-25LM 九七式中戦車(チハ) 57mm砲装備・旧車台
(1)戦車第1連隊 第4中隊 昭和17年 マレー半島
→「乃」に「24」 車輌番号「424」
(2)戦車第7連隊 材料廠 昭和17年 フィリピン
→「丸十字」に「9758」
(3)戦車第34連隊 第4中隊 昭和20年8月 奉天 満州
→「三角に日の出」
(4)戦車第35連隊(推定) 昭和20年8月 公主嶺 満州
→「桜に丸」

Fine Molds, FM-25 九七式中戦車(チハ) 57mm砲装備・新車台
(1)戦車第23連隊 第4中隊 昭和19年 満州
→「ミ」に「2本の白線」 車輌番号「511」
(2)戦車第9連隊 第5中隊 昭和19年 サイパン島
→「菊水」に「せいき」
(3)戦車第34連隊 第3中隊 昭和20年8月 公主嶺 満州
→「三角に日の出」
(4)独立戦車第14中隊 昭和20年8月 昭和20年8月 済州島
→「稲妻」
(5)所属部隊不明
→車輌番号「4302」

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寸法資料目録
「将校用椅子」
→藤田昌雄『写真で見る日本陸軍兵営の食事」(光人社, 2009)P.43
「下士官用椅子」
→藤田(2009)P.43
「一人用机」
→藤田(2009)P.44
「二人用机」
→藤田(2009)P.44
「吸殻入」
→藤田(2009)P.45
「軍刀掛」
→藤田(2009)P.45
「線引用机」
→藤田(2009)P.45
「飯入半切台」
→藤田(2009)P.92
「桝櫓」「漏斗」
→藤田(2009)P.92
「平釜」
→藤田(2009)P.93
「米入飯切」
→藤田(2009)P.99
「飯櫃」
→藤田(2009)P.99
「汁桶」
→藤田(2009)P.100
「菜台」
→藤田(2009)P.100
「菜台の台」
→藤田(2009)P.100
「食餌運搬車」
→藤田(2009)P.101
「検査食格納箱」
→藤田(2009)P.109
「飯碗」
→藤田(2009)P.115
「汁碗」
→藤田(2009)P.115
「皿」
→藤田(2009)P.115
「湯呑」
→藤田(2009)P.115
「食器袋」
→藤田(2009)P.115
「六人用机」
→藤田(2009)P.115
「腰掛(小)」
→藤田(2009)P.116
「腰掛(大)」
→藤田(2009)P.116
「寝台」
→藤田(2009)P.116

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日本軍車輛資料本目録

『グランドパワー2004年4月号 特集: 日本軍中戦車(1)』
→P.60-61 に九七式中戦車懸架装置全体構成図や各種転輪の構造図、断面図あり。

『グランドパワー2004年4月号 特集: 日本軍中戦車(2)』
→P.30,39に、ソ連軍調査資料によるチハ新砲塔、後期車体の寸法入り図面あり。

『グランドパワー2009年8月号 特集: 太平洋戦争の日本戦車写真集』

『グランドパワー2010年11月号 特集:ドイツ装軌式式対空車輛』
→九四式六輪自動貨車の記事あり
by tokyomonogatari | 2012-03-17 00:05 | 日本軍史料メモ | Comments(0)

日本軍通信機器ノート

(1)日本軍通信機器の史料文献

『歩兵通信器材(有線視号)取扱上ノ参考』
→近代デジタルライブラリーで閲覧可能→

『九四式五号・九四式六号無線機取扱上ノ参考』
→近代デジタルライブラリーで閲覧可能→

中西立太、田中正人 『図解 日本陸軍歩兵』(並木書房, 2006)
→P102-103に「通信」の記述あり

久保村正治『最前線の指揮統帥の道を造る 通信隊戦記』 (光人社, 2007)
→黄色の小被覆線が巻かれた小絡車を用いる師団通信隊や連隊通信隊ではなく、黒被覆線または裸線を大絡車に巻いて用いる軍通信隊について詳述されている。

第二次大戦期の各国軍隊における通信について網羅的に扱った文献としては、
Gordon L. Rottman "World War 2 Battlefield Communications" (Osprey Publishing, 2010)
がある。

(2)実物資料
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九二式電話機(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)
Type 92 Field Telephone

九二式電話機は製造メーカーによって細部に違いがある。
中田忠夫『大日本帝国陸海軍 軍装と装備1』(中田商店,1997) P.214を参照。

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九二式小被覆線及び九二式小絡車(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)
Type 92 Cable Reel

『大日本帝国陸海軍 軍装と装備2』 (中田商店, 2010)P.285の「九二式小絡車」「九二式小絡車線巻匡」には、グレーのコードが巻かれているが、
九二式小被覆線の色は黄色である。

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九二式微光燈(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)
Type 92 Signal Light

箱の内部については、『帝国陸軍 戦場の衣食住』(学研,2002))P.43「無電池携帯電灯」の写真を参照。

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九四式三号甲無線機(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)

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九四式三号特殊受信機(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)

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九四式五号無線機(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)

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九四式六号無線機及び二一号型手回発電機(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)
Type 94-6 Radio and Type 21 Electric Generator

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九九式飛一号無線機(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)

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九九式飛三号無線機(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)

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ライター付電鍵(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)

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手動電鍵二型(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)

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九八式無線機器試験器乙型(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)
Type 98 Radio Testor (Otsu)

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無線方向指示器(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)

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地二号無線機(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)

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携帯用交直両用電力計(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)
Portable Electric Testor

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PA-2真空管電圧計(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)

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平衡蓄電器(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)
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by tokyomonogatari | 2012-03-16 23:51 | 日本軍史料メモ | Comments(0)

日本軍光学機器ノート(書き途中)

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日本軍光学機器の参考文献

(1)双眼鏡

十三年式双眼鏡
→宗像和広/兵頭二十八(編著)『日本陸軍兵器資料集』(並木書房, 1999)P.71

八九式双眼鏡
→宗像和広/兵頭二十八(編著)『日本陸軍兵器資料集』(並木書房, 1999)P.70

九三式双眼鏡
→宗像和広/兵頭二十八(編著)『日本陸軍兵器資料集』(並木書房, 1999)P.68

双眼鏡性能一覧
→宗像和広/兵頭二十八(編著)『日本陸軍兵器資料集』(並木書房, 1999)P.71
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九八式砲隊鏡(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)
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双眼鏡(陸上自衛隊久里浜駐屯地歴史館蔵)
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by tokyomonogatari | 2012-03-16 23:48 | 日本軍史料メモ | Comments(0)

ノモンハン事件文献史料メモ(書き途中)

樋口紅陽『ノモンハン実戦記』(大東出版社, 1940)
早稲田大学中央図書館 研究書庫 B1 ケ01 007181
→「序文」は陸軍省情報部長 陸軍砲兵大佐 松村秀逸
写真は『ノモンハン美談録』のものと重なる。

樋口紅陽『続ノモンハン実戦記』(大東出版社, 1941)
早稲田大学中央図書館 研究書庫 B1 ケ01 007182
→「序文」は陸軍報道部長 陸軍大佐 馬淵逸雄
写真は『ノモンハン美談録』のものと重ならない。

草葉榮『ノロ高地』(鱒書房, 1941)
早稲田大学中央図書館 研究書庫 B1 ケ01 00727
→冒頭の写真キャプションに間違いが見受けられる。
「鹵獲せる敵ベーテー戦車」の写真の下で「同上」のキャプションが付いているのは九七式中戦車と九五式軽戦車であるとそのシルエットから推測され、
「擱坐せるベーテー戦車」の写真は九五式軽戦車の写真である。
須見新一郎『実戦寸描』でも日本軍の車輌を「敵戦車」とする写真キャプションが見受けられ、
戦意高揚のために虚偽の記述を敢えてしているのかもしれない。

教育総監部(編)『「ノモンハン」事件小戦例集』(成武堂, 1941)
近代デジタルライブラリーで閲覧可能→
戦闘状況についての図版多数。

富田邦彦『赤軍カラ観タ戦闘 戦車旅団全滅―ノモンハン戦』(新興亜社, 1941)
近代デジタルライブラリーで閲覧可能→
→表紙はBA装甲車の絵。冒頭に写真ページあり。
P.18にソ連兵がガムを噛む描写あり。P.43には「最新式の水陸両用テー三八型戦車」が登場。
主人公のソ連戦車兵が乗る戦車について、P.47では「我々の操縦する戦車は、最新式S型軽戦車で、重機関銃と、軽機関銃が前後についてゐる。速度も一分間三百米、最大速力五百米といふ素晴らしい性能をもってゐる。」
とあるが、該当する戦車が何かは不明。

財団法人 忠霊顕彰会『ノモンハン美談録』(満州図書株式会社,1942)
早稲田大学中央図書館 研究書庫 B1 ケ01 00771
→「ノモンハン事件記念写真集」が収録されており、必見。

須見新一郎『実戦寸描』(須見部隊記念会,1944)
早稲田大学中央図書館 研究書庫 B1 ケ01 00914
近代デジタルライブラリーで閲覧可能→
→日本陸軍第7師団歩兵第26連隊長の須見新一郎の名前で出された著作として必読。
ただし写真キャプションに明らかな間違いが見受けられ、P.21の写真「擱坐せる敵戦車」は八九式中戦車であり、
P.41の「鹵獲戦車上の中村軍医中尉」が座っているのは九四式軽装甲車である。
P.23には「七月四日本部に在る筆者 ビール瓶は水筒代り内容は○○河の水」とキャプションの付いた写真があり、
所謂「須見連隊長ビール瓶事件」のビール瓶が確認できるものとして貴重。
近代デジタルライブラリーで閲覧可能であるが、写真が潰れてしまっており、資料実見を推奨。

ソビエト共産党著、川内唯彦訳『第二次世界大戦史2 ノモンハン事件とドイツの対ソ戦準備』(弘文堂, 1963)
早稲田大学中央図書館 研究書庫 B1 リ09 05250 02
→ソ連邦共産党中央委員会附属マルクス・レーニン主義研究所 大祖国戦争史部の1960年の著作の翻訳。
冒頭と中程に写真及び地図のページあり。

高島正雄『ノモンハン白兵戦記 瞬間の生命』(原書房, 1970)


小沢親光『ノモンハン戦記』(新人物往来社, 1974)
→他のノモンハン本では見られない写真を多数収録。ノモンハン会の提灯と会旗の写真も掲載。(P.135, P.150)
ソ蒙軍側が撒いた伝単の写真も掲載。(P.107)
日本軍が火炎瓶を初めて使用した戦闘を、5月29日としている。(P.34)
ソ連軍の戦車砲塔の眼鏡照準器を十字鍬などで破壊して射撃不能にするという記述あり。(P.35)
「将校たちは敵からねらわれるので兵隊の軍服を着て肩章もひっぱずしていた。このため、一見してもだれが将校で、だれらが兵隊かわからなかった」(P.46-47)

小沢親光『続ノモンハン戦記』(新人物往来社, 1976)
→P.82「分捕ったソ連軍装甲車」の写真でBA装甲車に乗る日本軍将校が着用しているのは折襟の九八式軍衣に見える。

草場榮『ノロ高地』(国書刊行会, 1982)
→復刻版。原書の藤田嗣治による表紙のBT戦車の絵と、扉のノモンハン桜の絵はなくなっている。
また、冒頭の写真も減っており、写真はやや黒味が強くなっている。
ただし函の日本軍装甲車の写真は原書にはないものである。

O.ブレブ(編)、D.アルマース(訳)、田中克彦(監修)『ハルハ河会戦 参戦兵士たちの回想』(恒文社, 1984)
→ノモンハン事件に参戦したモンゴル軍兵士の回想録。冒頭に写真のページあり。

石田喜與司『帰らざるノモンハン』(芙蓉書房, 1985)
→ノモンハン事件の戦場の調査と、国境確定交渉についての本。
著者は日本及び満州国側全権代表の通訳として国境確定交渉に参加。
他で見たことのない写真多数。
「国境座標(満州側)」と「ノモンハンの戦闘で擱座したソ連軍戦車」の写真は、
扇廣『私評 ノモンハン』(芙蓉書房, 1985)に掲載されているものと同じ。

扇廣『私評 ノモンハン』(芙蓉書房, 1986)
早稲田大学中央図書館 研究書庫 B1
→ノンブルが振られる前のページにある石田喜與司氏・矢野光二氏提供の写真2枚「満蒙の国境座標(満州国側)」と「擱座したソ連戦車の残骸」は、
石田喜與司『帰らざるノモンハン』(芙蓉書房,1985)に掲載されているものと同じ。

アルヴィン・D・クックス『ノモンハン 草原の日ソ戦―1939』上下(朝日新聞社, 1989)
→原著は1985年。ノモンハン事件に関する最重要学術論文。写真ページには上質な紙が用いられているのも嬉しい、必読必携必須の本。
下巻末の参考文献も追研究の際に必読。

ノモンハン・ハルハ河戦争 国際学術シンポジウム実行委員会(編)
『ノモンハン・ハルハ河戦争 国際学術シンポジウム全記録 1991年東京』(原書房, 1992)

→1991年5月に春日行雄氏が作成したノモンハン事件関連の「参考文献・記事目録」がP.285-297にある。
 1991年5月22日のワルターノフ大佐発表による「日本兵ノモンハン捕虜リスト」がP.283-284に掲載されており、116人の名前が記載されている。

冨永信『ノモンハン孤立兵の遺書 個人にとって戦争とは何か』(農分館, 1993)


アルヴィン・D・クックス『もう一つのノモンハン 張鼓峯事件 1938年の日ソ紛争の考察』(原書房, 1998)
→原著は1977年。冒頭に写真ページあり。

半藤一利『ノモンハンの夏』(文藝春秋, 1998)
→写真はカバーのみ。

平川了大『ノモンハン脱走記』(探究社, 1998)


村上春樹「ノモンハン鉄の墓標」『辺境・近境』(新潮文庫, 2000)
→戦場に遺されたBT戦車に立つ著者の写真が2枚掲載されている。

鎌倉英也『ノモンハン 隠された「戦争」』(NHK出版, 2001)


マクシム・コロミーエツ(著)、小松徳仁(訳)、鈴木邦宏(監修)『ノモンハン戦車戦』(大日本絵画, 2005)
→ソ連側の撮影したノモンハン事件の写真集成本として必携。
クックス本のサブテクストとして必読。

津本陽『八月の砲声 ノモンハンと辻政信』(講談社, 2005)
→写真ページはなし。参考文献として挙げられているのは全て戦後出版された本。

シーシキン他(著)、田中克彦(編訳)『ノモンハンの戦い』(岩波書店,2006)
→S.N.シーシキン大佐の『一九三九年のハルハ河における赤軍の戦闘行動』(1946年初版)と、
作家シーモノフの「ハルハ河の回想」を翻訳した本。
写真ページはなし。
P.130-131にジューコフの掩蔽壕の丸太は日本軍の電柱をモンゴル騎兵部隊の兵士が切り倒して使用したと記述がある。
通信線を架橋する電柱を立てていると思われる日本兵の写真が『ノモンハン美談録』(満州図書株式会社, 1942)の写真のページにあり、
合わせて参照。

小林英夫『ノモンハン事件 機密文書「検閲月報」が明かす虚実」』(平凡社, 2009)
→人物、戦場の写真は他の資料でも見受けられるものであるが、検閲月報の写真が貴重。

古是三春『ノモンハンの真実―日ソ戦車戦の実相―』(産経新聞出版, 2009)
→冒頭から「郡司博物館」の誤植があることに愕然とさせられる本。
部分的な引用註のみで参考文献が書かれておらず、追研究に難アリ。

森山康平『はじめてのノモンハン事件』(PHP新書, 2012)
→コピーライトにPPSとあるソ連軍側の写真をこの本で初めて見た。

田中克彦 ボルジギン・フスレ 『ハルハ河・ノモンハン事件と国際関係』(三元社, 2013)
→L・バヤル、J・ガントルガによる論文「モンゴル国防中央文書館に保管されているハルハ河戦争史関連地図の研究利用」
 に掲載されているモンゴル人民革命軍の地図は必見。

岩城成幸『ノモンハン事件の虚像と実像 日露の文献で読み解くその深層』(彩流社, 2013)


秦郁彦『明と暗のノモンハン戦史』(PHP研究所, 2014)


笠原孝太『日ソ張鼓峰事件史』(錦正社, 2015)
→1986年生まれの若手研究者による著作。必読の学術論文。

ボルジギン・フスレ編『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社, 2016)』


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『一億人の昭和史 日本の戦史2 満州事変』(毎日新聞社,1979)
→P.210-245にノモンハン事件時の記事及び写真。
他の文献では見ない写真多数。必見の写真集。

『別冊 一億人の昭和史 日本の戦史別巻1 日本陸軍史』(毎日新聞社, 1979)
→P.232「前線の経理部―ノモンハン事件」に写真4枚。第23小松原師団の野戦経理部の前に立つ将校ふたりは昭五式と九八式軍衣を着用。

『決定版 昭和史8 日中戦争勃発 昭和12-13年』(毎日新聞社, 1984)
→P.172-189にノモンハン事件の写真。
P.188-189に半藤一利「ドキュメント=ノモンハン事件の統帥 参謀本部と関東軍の対立」

『別冊歴史読本 1991春号 特別増刊 日本陸軍機械化部隊総覧』(新人物往来社, 1991)
→P.7-14に「ノモンハン慰霊・50年目の戦場」の写真と記事あり。

『シリーズ20世紀の記憶 大日本帝国の戦争2 太平洋戦争1937-1945』(毎日新聞社, 1999)
→P.76-83にノモンハン事件の写真あり。
双眼鏡を覗く日本兵が写った写真が多数収録されているが、双眼鏡を持つ兵士は必ずしも双眼鏡ケースを携行していないことを複数確認できる資料としても貴重。

上田信『日本戦車隊戦史[鉄獅子かく戦えり]』(大日本絵画, 2005)
→P.17-24「3:ノモンハン事件」で当時の日ソ両軍の軍装と兵器について解説。

朝日新聞「写真が語る戦争」取材班『朝日新聞の秘蔵写真が語る戦争』(朝日新聞出版, 2009)
→P.40-45「ノモンハン事件」で当時の書籍でも見受けられる事件当時の写真のより鮮明なものを掲載。
行軍中の日本兵の写真はネガに傷がついているようであるが、当時出版された書籍に掲載されている写真にはこの傷が見受けられない。

『別冊歴史読本 未公開写真で初めてわかる 大東亜戦争』(新人物往来社, 2009)
→P.48-51「ノモンハン事件」に北海道旭川市北鎮記念館所蔵のアルバム『輝く武勲』収録の、
ノモンハン事件遺族代表による戦地巡礼写真が掲載されている。
また、P.162-165には「ノモンハン航空戦」として瀧山和中尉の証言を掲載。

山崎雅弘「満洲国の国境紛争」『歴史群像シリーズ84 満洲帝国』P.136-139
→張鼓峰事件とノモンハン事件について、地図と写真と併せて解説。

さいとう・たかを『ゴルゴ13 162巻 ノモンハンの隠蔽』(リイド社, 2011)
→ノモンハンの国境近くに埋めた鞄を掘り出すエピソード。
ノモンハンらしいアイテム、防蚊面が登場する。

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ノモンハン事件のBT戦車について
BT戦車系列ノートを参照。

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早稲田大学中央図書館所蔵の『ノロ高地』は1941年3月10日発行(研究書庫 B1 ケ01 00727)は、36版である。

私蔵 『ノロ高地』は、1941年3月31日発行 110版である。

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ノモンハン事件時の九八式軍衣着用事例

野重砲兵第1連隊中隊長 東久邇宮盛厚
→1939年7月22日撮影の写真
『一億人の昭和史 日本の戦史2 満州事変』(毎日新聞社,1979) P.235

野重砲兵第1連隊砲兵団長 内山英太郎少将
→1939年7月22日撮影の写真
『一億人の昭和史 日本の戦史2 満州事変』(毎日新聞社,1979) P.235

歩兵第72連隊長 酒井美喜雄大佐
→1939年7月1日撮影の写真
『一億人の昭和史 日本の戦史2 満州事変』(毎日新聞社,1979) P.234

野砲兵第13連隊副官 福永大佐
『一億人の昭和史 日本の戦史2 満州事変』(毎日新聞社,1979) P.235

井置捜索隊 井置栄一中佐
『一億人の昭和史 日本の戦史2 満州事変』(毎日新聞社,1979) P.235

第23歩兵団長 小林恒一大佐
『一億人の昭和史 日本の戦史2 満州事変』(毎日新聞社,1979) P.235

第23小松原師団経理部隊の将校
『別冊 一億人の昭和史 日本の戦史別巻1 日本陸軍史』(毎日新聞社, 1979) P.232
by tokyomonogatari | 2012-03-16 23:29 | 日本軍史料メモ | Comments(0)

1/35 日本軍小火器スプルー集成(書き途中)

Dragon 6044, Japanese Army Infantry Fire Arms Sprue

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by tokyomonogatari | 2012-01-11 18:22 | 日本軍史料メモ | Comments(0)

プランゲ文庫に見る占領下の旧軍戦車史料(書き途中)

占領下日本では旧日本軍の戦車の「平和的利用」が行われた。
占領期を調査する上で欠かせぬ資料群がプランゲ文庫である。

本稿ではプランゲ文庫の旧日本軍戦車関連の記事目録を作成する。

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手塚敬三「復員戦車の補修に就いて―主として防弾鋼板の扱ひ方―」『生産工学』 Vol.36 No.525 (機械製作資料社、1946年)P.27-30
→手塚敬三は玉川合金工業技師。金属加工研究会委員。

清水四郎「戦車の土木用並に農耕用機械への轉換に就て」『生産機械』(科学社, 1946年)P.5-14
→清水四郎は三菱重工業東京機器製作所技士、技術部第一設計室長。
  九七式中戦車車台の「移動クレーン」の寸法入り図あり。

「轉用戦車及び軍用トラクターの需給現況並に性能に就いて」『道路』再建第四号 Vol.8, No.71(日本道路技術協会, 1946年)P.157-159
by tokyomonogatari | 2012-01-03 00:53 | 日本軍史料メモ | Comments(0)