模型慕情:イタリア軍史料メモ
2016-12-18T01:37:03+09:00
tokyomonogatari
模型の解釈と鑑賞(更新停止11周年)
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イタリア軍史料メモ(文献史料)
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2015-10-17T19:52:07+09:00
tokyomonogatari
イタリア軍史料メモ
イタリア軍AFVの塗装色
フィアット3000に施された最初の迷彩は、サンド色をベースにグリーンや赤みがかったブラウンを塗ったものであった。
初期のCV33は、他の車輛にも施されていたように、ダークグレイグリーンの単色であった。
新しく導入された迷彩スキームは、アースブラウンまたはダークサンドをベースとし、その上からグレイグリーンを塗る方式、
またはグレイグリーンをベースとし、ブラウンを塗る方式であった。
1935-36年のイタリア軍によるアビシニア侵攻時のCV33は、黄色味がかったグリーンで塗られていた。
1936-1939年のスペイン内戦期におけるイタリア軍車両はダークサンドにダークグリーンの欧州戦線式の迷彩塗装が施されていた。
1937年から1939年にかけてフィアット・アンサルド社で生産された装甲車輛は全体をサンド色に塗り、グリーンとレッドブラウンの線状迷彩が施されていた。
1939年には旧来の迷彩塗装が再度導入されたが、1940年のリビアに送られた車輛としては相応しくなく、乗員によってサンド色に塗り直された。*
1940年、M13/40の初期生産車輛はグレイグリーン Grigio Verde (FS34159)であった**。
1941年の3月の命令でリビアに送られた車輛はイエローサンド=サンドイエロー=サハラン・カーキ Sabbia (FS20260)で全体を塗るようにとの命令が出た***
イタリア軍第7機甲大隊・アリエテ機甲師団のM13/40は生産時にはグレイグリーンであったが、
リビア・トリポリに到着後イエローサンドに変更されている****
イエローサンドの単色塗装や、イエローサンドをベース色とし、グレイグリーンのモットリングや、ストライプの迷彩が乗員の好みで施された。*****
1943年5月、新しい迷彩規則がイタリア軍AFVに導入され、イエローサンドをベース色とし、ダークアースとグレイグリーンでの三色迷彩となり、
1943年8月には、新しい車輛に対して、グレイグリーンをベース色とし、グリーン、ダークブラウン、サンドイエローで迷彩を施すこと、となった。
これよりも古いスキームの迷彩が施された車輛は1943年9月のイタリア降伏まで見受けられ、
結果として、降伏前の数ヶ月間のイタリア軍車輌は様々な迷彩パターンが混在していた******
イタリア軍塗装色のFSナンバー
グレイグリーン Grigio Verde (FS34159)
イエローサンド=サンドイエロー=サハラン・カーキ Sabbia (FS20260)
レッドブラウン Terracotta (FS20100)*******
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(註)
*F. Cappellano & P. P. Battistelli, "Italian Light Tanks 1919-1945"(Osprey Publishing 2012-1) P.43
ただし、Tamiya 89697「ドイツ装甲偵察車AB43」の説明図P.8では「大戦末期のフィアット・アンサルド製車輛特有の迷彩」について、
「グリーンの基本色の上にブラウンの雲形迷彩が施され、さらにグリーンとブラウンの境目をダークイエローの細い帯で縁取りする、大戦末期のフィアット・アンサルド製車輛特有の迷彩」とある。
また、Tamiya 89742「イタリア重戦車P40」の説明図P.10では、
「グレイグリーンの基本塗装にレッドブラウンの雲状迷彩が施され、さらにその境目をイエローサンドの細い帯で縁取りする、大戦末期のフィアット・アンサルド製車輛に特有の迷彩」とある。
ただし、F. Cappellano & P. P. Battistelli,(2012-1)でフィアット・アンサルド社で生産された車輛の塗装として書かれているのは、
1937年から1939年にかけてのサンドベースの上からのグリーンとブラウンの迷彩のみであって、
F. Cappellano & P. P. Battistelli,(2012-2)では、フィアット・アンサルド社特有としてではなく、
一般的なイタリア軍の迷彩として、1943年8月以降のグレイグリーンをベース色とし、グリーン、ダークブラウン、サンドイエローを上から施す塗装法を書いている。
なお、
"Light Tank L3-33/35/38 and L6/Semovente L40" (Auriga Publishing International, 2009)P.67
ではイタリア軍軽戦車の塗装色を、
1939年まではグレイグリーンが基本色。
グレイグリーンの下地ににレッドブラウンかグレイかライトブラウンの迷彩がその上から施されることもあった。
1941年3月までもグレイグリーンが基本色。
グレイグリーンの下地にに部分的または全面的にサンドイエロー(サハランカーキと呼称)を塗るか、または他の色で迷彩が施されていた。
1941年3月からはサンドイエローが基本色。
1942年中頃からはサンドイエローにグレイグリーンまたはレッドブラウンまたはグリーンを適宜用いた迷彩を導入した部隊もあった。
また、戦利品や航空機用の塗料が用いられることもあった。
戦後の警察隊の戦車はアマランス・レッドに塗られることもあった。
とシンプルに記述している。
**Nicola Pignato, "Italian Medium Tanks in action" (Squadron/Signal Publications, 2001) P.21 及び
F. Cappellano & P. P. Battistelli, "Italian Medium Tanks 1919-1945"(Osprey Publishing 2012-2) P.43
***Nicola Pignato(2001)P.21 及び
F. Cappellano & P. P. Battistelli(2012-2) P.43
****Nicola Pignato(2001)P.22
*****セモベンテについては、Tamiya 35294 「イタリア自走砲M40セモベンテ」の説明図P.7で「ほとんどの車輛はイエローサンド単色のままでした」とある。
ダークイエロー・サンド色の上から迷彩が塗られ始めた時期について、Tamiya 89783「イタリア軽戦車L6/40」の説明図P.8では、
「1942年中盤からは基本色の上にグレイグリーンやレッドブラウンで斑点や蛇行パターンの様々な迷彩が施されるようになりました」とある。
1942年中頃からサンドイエロー=サハラン:カーキの上から迷彩が施されたとする文献としては、
Auriga Publishing International, (2009) P.67があるが、
上から塗られた色として、グレイグリーンやレッドブラウンの他、グリーンも挙げられている。
F. Cappellano & P. P. Battistelli,(2012-2)ではサンド色を下地に迷彩が塗られ始めた時期は明記されていない。
******F. Cappellamp & P. P. Battistelli(2012-2) P.43
*******Nicola Pignato(2001)P.32
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(2)イタリア軍AFVの形状について
M13/40のラジエーターカバーの形状
→初期型と後期型がある。Nicola Pignato(2001) P.21を参照。
M13/40のショートフェンダー
M13/40の初期生産150輌はフルフェンダーであるが、金属材料節約のため車体前部のフェンダーのみのショートフェンダー仕様となった。
Tamiya 35034=Tamiya 35078、及びTamiya 35294=35296はフルフェンダー*、
Zvezda/ItaleriのM13/40もフルフェンダーである。
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(註)*フェンダーは車体上部と一体。その車体上部はTamiya 35034=Tamiya 35078旧パーツが、金型改修された上で、
Tamiya 35294=Tamiya 35296の新車体上部パーツとしてキットに含まれている。
説明図でショートフェンダー仕様にする改造法が示されているのは、Tamiya 35034のみである。
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8mmブレダ・モデル38機関銃
Nicola Pignato(2001) P.19に図面あり。
イタリア軍中戦車及び自走砲の履帯の標準枚数*
M11-39 : 80 pcs.
M13-40 : 84 pcs.
M14-41 : 84 pcs.
M15-42 : 86 pcs.
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(註)
*Nicolla Pignato (2001) P.31
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(3)現存車輛の所在について
第二次大戦期イタリア軍の現存車輛*
L3タンケッテはイタリアに22輌現存
イタリア・ローマ ファンテリア博物館(Museo della Fanteria)に2輌
イタリア・トリエステ ヘンリケ博物館(Museo de Henriquiez)に2輌(そのうち1輌は火炎放射型)
イタリア・ローマ 機械化軍事博物館(Museo della Motorizzazione Militaire)
他はイタリア軍各地の駐屯地に現存。
イギリス・ドーセット州 ボービントン戦車博物館に火炎放射型が現存(トレーラーも現存)
L6/40軽戦車は3輌現存
イタリア軍の駐屯地
ロシア・クビンカ戦車博物館
アルバニア・ジロカスター博物館(Gjirokaster Museum)
L40自走砲は1輌現存
アメリカ・メリーランド州 アバディーン試験場
M13/40中戦車は2輌現存
アメリカ・メリーランド州 アバディーン試験場
カナダ・オンタリオ州 ボーデン基地軍事博物館(Base Borden Military Museum)
M13/41中戦車は7輌現存
カナダ・ウェーンライト
イギリス・ドーセット州 ボービントン戦車博物館
エジプト・エルアラメイン博物館
イタリア・ローマ 歩兵博物館
イタリア・ノヴァラ
イタリア・リース
M14/41中戦車
イタリア・ローマ・チェキニョーラ 戦闘車輛歴史博物館**
M40 da 75/18自走砲は2輌現存
フランス・ソミュール博物館
エジプト・エルアラメイン博物館
M15/42中戦車は2輌現存(自走可能)***
イタリア・コルデノンス陸軍兵舎(Cordenons Army Barracks)
Fabio Temeroli氏の個人蔵
M41 da 75/18自走砲
イタリア・ローマ・チェキニョーラ 戦闘車輛歴史博物館****
イタリア・ローマ 陸軍歴史課(Army Historical Branch)
イタリア・トリエステの ヘンリケ博物館(Henriquez Museum)
イタリア・ラ・スぺチア OTOメララ社(自走可能)
M41 da 90/53自走砲
アメリカ・メリーランド州 アバディーン試験場
M41 da 149/40自走砲の試作車輌
アメリカ・メリーランド州 アバディーン試験場
M41指揮戦車*****
イタリア・ローマ 機械化軍事博物館(Museo della Motorizzazione Militaire)
M42 da 75/18自走砲は4輌現存
イタリア・ベリンザーゴ・ノヴァリーゼ陸軍兵舎(Bellinzago Novarese Army Barracks)
イタリア・リミニ 航空博物館
P40重戦車******
イタリア・ローマ・チェキニョーラ 戦闘車輛歴史博物館
イタリア・レッチェ 騎兵学校
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(註)
*F. Cappellano & P. P. Battistelli(2012-1) P.44 及び
F. Cappellano & P. P. Battistelli, (2012-2)P.44
**Museo della Motorizzazione Militaire
「戦闘車輛歴史博物館」の和訳はTamiya 89792「イタリア重戦車P40」の説明図P.9より。
Armour Modelling extra No.3, P.11では、「輸送車両博物館」としている。
***Armour Modelling extra No.3, P.11には、チェキニョーラ戦闘車輛歴史博物館に展示されているM15/42の写真がある。
****Armour Modelling etra No.3, P.12に写真あり。
*****Armour Modelling etra No.3, P.12にチェキニョーラ戦闘車輛歴史博物館のCarro Comando su scafo M.42の写真あり
******現存するP40については、Italeri 6476及びTamiya 89792に含まれる写真集を参照。
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1896年アドワの戦い以降のイタリア軍文献目録
Sean Mclachlan, "Armirs of the Adowa Campaign 1896, The Italian Disaster in Ethiopia" (Osprey Publishing, 2011)
David Nicolle, "The Italian Invasion of Abyssinia 1935-36" (Osprey Publishing, 1997)
N. Thomas & K. Mikulan, "Axis Forces in Yugoslavia 1941-45" (Osprey Publishing, 1995)
Velimir Vuksic, "Tito's Partisans 1941-45" (Osprey Publishing, 2003)
→P.62に1943年11月Splitで鹵獲されたミッキーマウスマーキングが施されたイタリア軍L6/40軽戦車の写真あり。
Philip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (1), Europe 1940-43" (Osprey Publishing, 2000)
Phiip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (2), Africa 1940-43" (Osprey Publishing, 2001)
Phiip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (3), Italy 1940-43" (Osprey Publishing, 2001)
Nicola Pignato, "Italian Medium Tanks in action" (Squadron/Signal Publications, 2001)
Claudio Antonucci, "Axis Forces in North Africa 1940-43" (Concord Publications, 2007)
Philip Jowett & Dmitriy Zgonnik, "The Italian Army at War, Europe 1940-43" (Concord Publications, 2008)
Janusz Ledwoch, "Tank Power Vol.330 C.V. 33/35" (Wydawnictwo Militaria, 2009)
"Light Tank L3-33/35/38 and L6/Semovente L40" (Auriga Publishing International, 2009)
P. Crociani & P.P. Battistelli, "Italian Blackshirt 1935-45" (Osprey Publishing, 2010)
P. Crociani & P.P. Battistelli, "Italian Army Elite Units & Special Forces 1940-43" (Osprey Publishing, 2011)
F. Cappellano & P. P. Battistelli, "Italian Light Tanks 1919-1945"(Osprey Publishing 2012)
F. Cappellano & P. P. Battistelli, "Italian Medium Tanks 1919-1945"(Osprey Publishing 2012)
吉川和篤/山野治夫『イタリア軍入門 1939-1945 第二次大戦を駆け抜けたローマ帝国の末裔たち』(イカロス出版, 2006)
スティーヴン・ザロガ著・三貴雅智訳『カセリーヌ峠の戦い 1943 ロンメル最後の勝利』(大日本絵画, 2009)
吉川和篤『Viva! 知られざるイタリア軍』(イカロス出版, 2012)
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吉川和篤/山野治夫『イタリア軍入門 1939-1945 第二次大戦を駆け抜けたローマ帝国の末裔たち』(イカロス出版, 2006) P.224-226図版の出典元と、
出典元の記述との差異
吉川・山野(2006) P.224
「1:タウリネンゼ山岳師団第4山岳連隊伍長/西方アルプス戦線1940年」
→Philip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (1), Europe 1940-43" (Osprey Publishing, 2000)P.25
出典元では、タウリネンゼ山岳師団第4山岳連隊Val d'Orco大隊とまで記述されている。
「2:アオスタ候アメデオ皇太子第3快速師団第3ベルサリエリ連隊伍長/ユーゴスラヴィア戦線1941年」
→Philip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (1), Europe 1940-43" (Osprey Publishing, 2000)P.28
出典元との記述の差異はない。
「3:3月23日黒シャツ師団レオネッサ大隊機関銃兵/ロシア戦線1942年」
→Philip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (1), Europe 1940-43" (Osprey Publishing, 2000)P.29
出典元では1941年とされている。
吉川・山野(2006) P.225
「1:ウォルク・アンバ山岳大隊上等兵/エチオピア戦線1940年」
→Phiip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (2), Africa 1940-43" (Osprey Publishing, 2001)P.29
出典元では1941年2-3月のケレンの戦いとされている。
「2:アリエテ戦車師団第132戦車連隊搭乗兵/リビア戦線1941年」
→Phiip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (2), Africa 1940-43" (Osprey Publishing, 2001)P.27
出典元の記述との差異はない。
「3:サン・マルコ海兵連隊バフィーレ大隊海兵/チュニジア戦線1943年」
→Phiip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (2), Africa 1940-43" (Osprey Publishing, 2001)P.30
出典元の記述では、1942年北アフリカとされている。
吉川・山野(2006) P.226
「1:RSIデチマ・マス海兵師団バルバリゴ大隊義勇海兵/アンツィオ戦線1944年」
→Phiip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (3), Italy 1940-43" (Osprey Publishing, 2001)P.29
出典元ではアンツィオ戦線とは明記されておらず、1944年とされているだけである。
「2:RSIフォルゴーレ空挺連隊アズッロ大隊空挺兵/西方アルプス戦線1945年」
→Phiip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (3), Italy 1940-43" (Osprey Publishing, 2001)P.29
出典元では1944年となっている。
「3:自由イタリア軍マントヴァ歩兵戦闘団兵/北イタリア戦線1945年」
→Phiip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (3), Italy 1940-43" (Osprey Publishing, 2001)P.30
出典元では1944-1945年と記述されており、
第114歩兵連隊マントヴァ戦闘団となっている。
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第二次大戦期イタリア軍軍装資料本
N. Thomas & K. Mikulan, "Axis Forces in Yugoslavia 1941-45" (Osprey Publishing, 1995)
Philip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (1), Europe 1940-43" (Osprey Publishing, 2000)
Phiip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (2), Africa 1940-43" (Osprey Publishing, 2001)
Phiip S. Jowett, "The Italian Army 1940-45 (3), Italy 1940-43" (Osprey Publishing, 2001)
Claudio Antonucci, "Axis Forces in North Africa 1940-43" (Concord Publications, 2007)
吉川和篤/山野治夫『イタリア軍入門 1939-1945 第二次大戦を駆け抜けたローマ帝国の末裔たち』(イカロス出版, 2006)
吉川和篤『Viva! 知られざるイタリア軍』(イカロス出版, 2012)
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イタリア軍記章類
→吉川和篤/山野治夫(2006) P.219-222, P.288-295参照
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模型雑誌のイタリア軍特集号
Armour Modelling extra No.3 (大日本絵画, 2002)
「[特集]Viva! Latin Tanls ラテンな戦車たち」
Panzer Graph! Vol.8 Spring 2007 (モデルアート, 2007)
「THE ITALIAN FRONT イタリア戦線 1943-1945」
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Panzerwrecks イタリア製車輛写真目録
Vol.1
P.76 ポーランド第4機甲連隊スコーピオンに撃破されたM43 mit 105/25 853(i)
Vol.2
→1945年5月、スロベニア人写真家Slavko Smolej氏がユーゴスラビアのSentvidで撮影した、ドイツ第202戦車大隊第3中隊所属のイタリア製車輛の写真を多数収録。
P.38の記述によれば、第202戦車大隊は当初はフランス製のS35やH35を装備していたが、
1944年5月からM15/42の配備が始まった。
P.32 M41 mit 75/18 850(i), M15-42 738(i)
P.33 M41 mit 75/18 850(i)
P.34 M15/42 738(i) 砲塔後部に雑具箱を増設したタイプその1 「321」号車
P.35 M15/42 738(i) 砲塔後部に雑具箱を増設したタイプその2 「312」号車
P.36 M15/42 738(i) 砲塔後部に雑具箱を増設したタイプその3 「314」号車
P.37 M15/42 738(i)
P.38 M15/42 738(i)
P.39 M15/42 738(i) 上方からの撮影。第3中隊特有の雑具箱の上面が見える写真として貴重。
P.40 M15/42 738(i)
P.41 M15/42 738(i)
P.42 M15/42 738(i)
P.43 M15/42 738(i)
P.44 M15/42 738(i) 「114」「124」「314」号車
P.45 M15/42 738(i) 「124」号車
P.46 M15/42 738(i) 「121」号車 エンジンデッキに燃料タンクを装備したタイプ
Vol.3
P.20 イタリア Aquino近郊でニュージーランド軍兵士「が撮影したドイツ第71歩兵師団第171戦車大隊所属のM42 mit 75/18 850(i)
P.21 ドイツ第71歩兵師団第171戦車大隊所属のM42 mit 75/34 851(i)
P.20によれば、履帯脱落防止のために歯が四か所大きくなったタイプの起動輪が導入されたのは1943年末である。
Vol.4
P.74 1944年10月15日あたり、セルビアのNisにて、ブルガリア軍の兵士によって調べられるドイツ軍z.b.V.12戦車大隊所属のM42 738(i)
P.75 ドイツ軍z.b.V.12戦車大隊所属のM42 738(i)
P.76 ドイツ軍z.b.V.12戦車大隊所属のM42 738(i)
P.74によれば、ドイツ軍によって、歯が四か所大きくなったタイプの起動輪に改造されたのは1944年の間である
Vol.5
Vol.6
P.20 M42 mit 75/18 850(i) オーストリアで購入された写真。
Vol.7
イタリア製の車輛の写真はなし。
Vol.8
イタリア製の車輛の写真はなし。
Vol.9
P.25 イタリア戦線でポーランドの戦場写真家によって撮影されたAB41 201(i) Purzel号とWinnetou号
P.44 1944年の春か夏、イタリア戦線で撮影されたM41 90/53 801(i)
P.45 1944年の春か夏、イタリア戦線で撮影されたM41 90/53 801(i)
P.54 イタリア戦線、第71歩兵師団第171戦車大隊のM42 75/34 851(i) 122号
P.55 イタリア戦線、第71歩兵師団第171戦車大隊のM42 75/34 851(i) 123号
P.59 イタリア戦線、P40 737(i) 24号
P.60 1946年イタリア・ラヴェンナ、M42 75/34
P.61 1946年イタリア・ラヴェンナ、M42 75/34
P.88 1944年12月イタリア・ファエンツァ、M43 mit 105/25 853(i)
P.89 イタリア・ファエンツァ、M43 mit 105/25 853(i)
P.90 1944年7月10日、イタリア・グロッタフェラッタ近郊、Leonardis JuarezとD.PhilliosとL6 mit 47/32 630(i)
Vol.10
P.12 ユーゴスラヴィア、L6 mit 47/32 770(i)とAB41 201(i)
P.13 ユーゴスラヴィア、L6/40 733(i)とAB41 201(i)
P.14 ユーゴスラヴィア、L6/40 733(i)
P.15 ユーゴスラヴィア、M15/42 738(i)
Vol.11
イタリア製の車輛の写真はなし。
Vol.12
イタリア製の車輛の写真はなし。
Vol.13
P.1 イタリアの兵器集積場、AB41 201(i) Schaal号ともう一輌。砲塔後面に雑具箱を追加装備。
P.62 1944年6月ローマの北、Via Cassiaに放棄されたM43 mit 105/25 853(i)
P.63 Via CassiaのM43 mit 105/25 853(i)
P.64 Via CassiaのM43 mit 105/25 853(i)
P.65 1944年6月28日、オンタリオ連隊の英連邦軍兵士に検分されるM43 mit 105/25 853(i)
P.66 第85歩兵師団のアメリカ兵とM43 mit 105/25 853(i) 20064号
P.67 L6 mit 47/32 630(i)
P.68 1945年4月ミラノ、M43 mit 75/34 851(i)とパルチザン
P.69 M43 mit 75/34 851(i)とGIふたり
P.70 1944年5月15日、サンタマリア地域で放棄されたM42 mit 75/18 850(i) Marga 3号
P.71 1945年、ファエンツァに放棄されたM42 mit 75/18 850(i)
Vol.14
P.34 1945年3月31日ハンガリー、とAB41 201(i)を見るブルガリア軍兵士
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イタリア軍車輛作例目録
Panzer Graph! 2007.spring (Vol.8)
P.2-7
荒木智氏によるカミオネッタ・AS42。サハリアーナの情景
P.10-15
島脇秀樹氏によるイタリアMVSN軍Ⅲ号突撃砲(初期型)の情景
P.34-43
石塚晃氏によるAB43の作例
P.44-47
吉川和篤氏によるAB43装甲車とそのディテールの解説
P.61-66
吉川和篤氏による「RSI戦車部隊「レオネッサ」その成り立ちと軍装」の解説
P67-69
野田達也氏によるリットリーナ・ブリンダータの解説及び、
杉本秀夫氏による作例
P.70-73
杉村光生氏によるイタリア突撃砲M43 105/25 バソットの作例
P.74-75
吉川和篤氏によるイタリア軍のトリビア及びイタリア軍資料本の紹介
Master Modelers 2009.6 (Vol.70)
P.19-22
石井優二氏によるM40 da 75/18作例(Tamiya 35294)
P.26-28
Alessandro Bruschi氏によるL6/40作例(italeri)
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イタリア軍映画・ドラマ
Divisione Folgore (1954)
Sopra di Noi Il Mare (1955)
「砂漠の戦場エル・アラメン」 La Battaglia di El Alamein (1969)
「コレリ大尉のマンドリン」 Captain Corelli's Mandolin (2001)
「炎の戦線エル・アラメイン」 El Alamein - La linea del fuoco (2002)
「激動ヨーロッパ戦線 ファシズム、ムッソリーニの野望」 La Guerra e Finita (2002)
「対独パルチザン戦線1943~ナチス包囲の島」 Cefalonia (2005)
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イタリア軍史料メモ(M13中戦車系列)
http://tokyostory.exblog.jp/25520433/
2012-01-02T23:18:00+09:00
2016-12-18T01:37:03+09:00
2016-04-16T23:18:06+09:00
tokyomonogatari
イタリア軍史料メモ
Tamiya社のものと、Zvezda社のものが現状存在する。
後者はItalaereiの社名であった時にリリースされたItaleri社のキットを、1996年*にZvezda社が再リリースしたものである。
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*杉村光生「イタリア突撃砲M40-75/18セモベンテ」作例記事『突撃砲モデルフィーベル1』(モデルアート, 1997)P.170の記述による。
杉村氏によれば、Zvezda社版では「かなり柔らかい材質に替わっ」たとのことである。
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Tamiya M13/40車体上部の新旧
Tamiya 35034とTamiya 35078の車体上部は、
Tamiya 35294とTamiya 35296のリリース時に改修が行われている。
↑上が旧、下が新。
フェンダー金具の彫刻が増加し、後部ルーバーの向きが90度回転するなどの改修が行われている。
ルーバーの向きは、新キットがM40型車体として相応しいタイプであり、旧キットがM41型車体**に相応しいタイプである。
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**アンツィオ高校で用いられているセモベンテは、M41型車体であり、ルーバーが旧キットの向きのタイプである。
M41型セモベンテの製作については、『ホビージャパンエクストラ 2014年春号』P.14-15のトキハマジロー氏の作例を参照。
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↑左が新車体上部、右が旧車体上部。
↑旧車体上部フェンダー前端。
↑新車体上部フェンダー前端は、側面の張り出し部が増加している。
Tamiya M13/40車体下部の新旧
↑上が旧車体下部。下が新車体下部。
起動輪のシャフトが旧車体下部では別パーツを貼る形式であり、新車体下部では一体となっている。
↑旧車体下部の刻印。
↑新車体下部の刻印。
↑車体下部底面に彫刻が存在しないのは新旧同じ。
Italeri=Zvezdaの車体下部底面には彫刻がある。
Italeri=Zvezda M13/40の車体下部
Italeri=ZvezdaとTamiya M13/40の車体下部
1/35インジェクションキットのM13中戦車系列の足回り
(0)起動輪の歯数問題
M13中戦車系列の起動輪は、実車ではスプロケットの歯数は18、マイナスネジは16個である。
A: Modelkasten SK-43 Sprocket Wheel
モデルカステンの連結可動履帯SK-43に付属するメタル製スプロケットの歯数は17である。
SK-43の説明図には、履帯は片側77枚が標準と書いてあるが、Nicolla Pignato (2001) P.31によれば、実車の標準枚数は80枚である。
↑歯数は17、マイナスネジは16。
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B: Zvezda/Itaraerei=Italeri Sprocket Wheel
ズベズダの起動輪のスプロケットの歯数は18である。
↑歯数は18、マイナスネジは16。
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C: Tamiya Sprocket Wheel (old, 1974)
タミヤの旧起動輪のスプロケットの歯数は17である。
↑歯数は17、マイナスネジは17。
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D: Tamiya Sprocket Wheel (new, 2008)
タミヤの新起動輪のスプロケットの歯数は17である。
↑歯数は17、マイナスネジは16。
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各社履帯
Modelkasten SK-43 M13/40(伊)戦車用履帯(可動式)
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(1)Zvezda 3515の足廻り=Zvezda 3516の足廻り
(2)Tamiyaの足廻り
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8mmブレダ・モデル38機関銃
Zvezda 3515
Tamiya 35034-C
Tamiya 35078-C
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1/35 インジェクションキットのイタリア軍AFVクルー
(1)Zvezda 3515: M40 da 75/18のイタリア軍自走砲兵
(2)Zvezda 3515 M40 da 75/18のイタリア軍自走砲兵
=Zvezda 3516 M13/40カーロアルマートのイタリア軍戦車兵
Zvezda 3515とZvezda 3516の足廻りは共通のスプルー。この立像を共有する。
(3)Tamiya 35034-C: M13/40のイタリア軍戦車兵
(4)Tamiya 35078-C: M40 da 75/18のイタリア軍自走砲兵
(5)Tamiya 35294=35296=89783-Z: M13/40中戦車, M40 da 75/18自走砲, L6/40軽戦車のイタリア軍AFVクルー
↑Tamiya 35294=35296-Zの初期シンプル版スプルー。木箱が無い。
↑Tamiya 89783-Zでは木箱が追加延長された。]]>
イタリア軍史料メモ(L6軽戦車系列)
http://tokyostory.exblog.jp/25520465/
2011-12-28T23:26:00+09:00
2016-04-17T03:11:38+09:00
2016-04-16T23:30:58+09:00
tokyomonogatari
イタリア軍史料メモ
Light Tank Carro Leggero L3-33/35/38 and L6/Semovente L40 (Auriga Publishing International, 2009
→全75ページ中、32ページ分でL6軽戦車系列に関する写真と解説を掲載。
『グランドパワー 2009年5月号』(ガリレオ出版, 2009)
→第二特集として、L6/40軽戦車が掲載されている
『グランドパワー別冊 第2次大戦イタリア軍戦闘車輛』(ガリレオ出版)
→L6/40軽戦車がP.10-12
L40 47/32自走砲がP.40-43に掲載されている
Carro Armato L6/40 (Italeri 6469=Tamiya 89783)
→キット付属のカラー印刷小冊子。
Tamiya 89783説明図の部品請求欄には記載されていない。
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ブレダ 20mm機関砲搭載砲塔
(1)Tamiya 89783=Italeri 6469 D&E [L6/40軽戦車の砲塔部品]
Tamiyaカスタマーサービスで注文すると、D&E部品セットで520円(税別)
後述するAB41装甲車のD部品とは、金型のコマ交換による製造選択が行われていると推断される。
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(2)Italeri 6442A-D, C[AB41装甲車の20mm砲塔]
A-D部品でつながっており、D部品には砲塔外装部分、独立したB部品には20mm砲と砲尾部品が彫られている。
D部品はL6/40軽戦車のD部品とはコマ交換による製造選択が行われていると推断される。
B部品の主砲周辺部品は、L6/40軽戦車のE部品と部品番号、形状ともに同一である。
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イタリア軍史料メモ(装輪装甲車)
http://tokyostory.exblog.jp/24894163/
2011-12-16T23:50:00+09:00
2016-04-17T03:14:25+09:00
2015-11-03T23:51:23+09:00
tokyomonogatari
イタリア軍史料メモ
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Voyager Model PE-35128 (for Tamiya 89697/Italeri 6442, Autoblinda AB41/AB43)
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