カテゴリ:南方映画史メモ( 41 )

戦時下南方における映画工作の基礎情報(書き途中)

1940年12月 
 南洋映画協会発足

 南洋映画協会ハノイ支社設立
 フランス語版「日本ニュース」を月2-3回上映
 「田園交響楽」「支那の夜」「桜の国」のフランス語タイトルで上映


1942年9月10日
 「南方映画工作要領」策定

 ・日本映画社(日映)の南方工作
  海外局を設けて、南方映画製作委員会を置く

  日本映画社南方総支社(シンガポール=昭南)
  日本映画社香港支局
  日本映画社サイゴン支局
  日本映画社バンコック支局
  日本映画社マニラ支局
  日本映画社ビルマ支局
  日本映画社ジャカルタ支局
  日本映画社セレベス支局

 ・映画配給社(映配)の南方工作
  南方局を設けて、支社を置く
 
  映画配給社昭南支社
  映画配給社ジャワ支社 (1943年4月)
  映画配給社北ボルネオ支社 (1943年2月)
  映画配給社ビルマ支社 (1943年2月)
  映画配給社仏印支社 (1942年12月)
  映画配給社タイ支社 (1942年10月1日)
  映画配給社香港支社 (1943年1月15日)
  映画配給社フィリピン支社 (1942年12月19日)
  映画配給社セレベス支社 (1943年1月)

1942年5月
  三橋哲生がジャワに赴任

1942年10月1日
  ジャワ映画公社設立(理事長大宅壮一)
  映画配給社タイ支社支社設立(南洋映画協会バンコック支社→映画配給社タイ支社に移行)

1942年11月26日
 『映画関係南方派遣員激励会」が東京・歌舞伎座で行われる。
  日本映画社の派遣員66名、映画配給者の派遣員124名

1942年11月30日
  映画配給社昭南支社長、内海信二が昭南に到着

1942年12月
  映画配給社サイゴン支社設立
  
1943年4月1日
  日本映画社ジャカルタ支局、映画配給社ジャワ支社設立(ジャワ映画公社→日本映画社ジャカルタ支局、映画配給社ジャワ支社に移行)

by tokyomonogatari | 2012-03-18 20:03 | 南方映画史メモ

日本軍占領下シンガポールにおける映画上映(1:書き途中)

(0)先行研究

日本軍占領下シンガポールにおける映画上映を、当時の新聞から研究したものとして、
せんきち氏による先行業績がある。
まぜるなきけん: 原びじつかんへ再び行ってきました
まぜるなきけん: 原びじつかんへ再び行ってきました 補遺

日本軍占領下のシンガポールにおける映画工作の状況と「支那の夜」の上映については、
yanagi470氏による先行業績がある。
「李香蘭と支那の夜 ~名曲・蘇州夜曲の謎を解く~: 「マレーシア・シンガポール その1」」
「李香蘭と支那の夜 ~名曲・蘇州夜曲の謎を解く~: 「マレーシア・シンガポール その2」」

日本軍占領下マレー・シンガポールで見た映画名が多数記録されている史料として、小出英男による著述がある。
小出英男『南方演藝記』(新紀元社,1943.6)
→拙稿「南方演藝記」(昭和十八年)に表れる映画名リストを参照。
小出英男「マライ映画断想」『映画旬報』74号(1943.3.1号) P.22-23
→拙稿「マライ映画断想」(昭和十八年)に表れる映画名リストを参照。
小出英男が観たインド映画については、
小出英男「マライで見た印度映画の感想」『映画評論』(1943.2月号) P.60-61を参照。

『南方演藝記』と「マライ映画断想」に記されている「マライ映画」は、マレーで作られた映画というよりも、
そのほとんどが、インドネシアで製作されたマライ語=インドネシア語の映画を指す。
当時のインドネシアの映画については、安田清夫の記事がある。
安田清夫「ジヤワの劇映画作品目録」『映画旬報』100号(1943.11.21号)であるが、小出英男の『南方演藝記』との間で映画名の表記に揺れがある。
→拙稿「ジヤワの劇映画作品目録」と「南方演藝記」の「音」についてを参照。

当時の映画雑誌のマレー・シンガポール関連の記事タイトルは、、
→拙稿戦時中の映画雑誌のマレー・シンガポール映画関連記事リストを参照。

(1)史料

「昭南新聞」
日本軍占領下シンガポール=昭南島において上映された映画のタイトルは、
「昭南新聞」の映画情報欄で一部知ることが出来る。
「昭南新聞」は縮刷版として『日本占領下のシンガポール「昭南新聞」1942-1945』(五月書房,1993)があり、
戦時下の南方における映画上映史を調べる上でも貴重な史料である。
ただし、『日本占領下のシンガポール「昭南新聞」1942-1945」(五月書房,1993)に収録されている「昭南新聞」は欠号分が多く、
映画館で上映された映画名及びその期間を知ることのできる紙面は以下に限られている。

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「昭南新聞」縮刷版 映画関連記事欄掲載リスト

昭和18年2月15日2面
昭和20年2月20日2面
昭和20年2月22日2面
昭和20年3月22日2面
昭和20年5月3日2面
昭和20年5月10日2面
昭和20年5月31日2面
昭和20年7月1日2面
昭和20年7月5日2面
昭和20年7月12日2面
昭和20年8月16日2面

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徳川夢聲「昭南映画管見」『映画旬報』78号 (昭和18年4月11日号)P.63-66
「昭南新聞」で知ることのできない期間に、シンガポールで上映された映画のタイトルを補う史料として有用。
シンガポールの各映画館の状況についても記されている貴重な史料でもある。
また、宣伝班発行の新聞「建設戦」昭和17年9月4日号の映画上映情報欄に見られる映画タイトルとその上映館等が記事中に書き写されているのもありがたい。
徳川夢聲が日本軍占領下のシンガポール=昭南に滞在したのは昭和17年11月からの2ヵ月ほど。
徳川夢聲は小津安二郎と同様に、敵性映画をシンガポールで観る経験をしており、
「風と共に去りぬ」「リオの夜」を芙蓉劇場で、「ファンタジア」を大東亜劇場で、「血と砂」を昭和劇場で観ている。

なお、徳川夢聲がシンガポールに滞在したのは昭和17年11月からの葯2ヵ月間が初めてではなく、
昭和12年4月11日に軍艦足柄で入港、滞在している。
→徳川夢聲「星港の憶ひ出」『映画之友』(昭和17年3月号)P.54-55参照。

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徳川夢聲『夢声戦争日記』第一巻 昭和十六年・昭和十七年(中央公論社, 1960)
徳川夢聲『夢声戦争日記』第二巻 昭和十八年(中央公論社, 1960)
徳川夢聲『夢声戦争日記』(二) 昭和十七年(下)(中公文庫, 1977)
徳川夢聲『夢声戦争日記』(三) 昭和十八年(中公文庫, 1977)
徳川夢聲『夢声戦中日記』(中公文庫,2015)


シンガポール時代の徳川夢聲を知る上で必読の史料が『夢声戦争日記』である。
上述の映画のうち、「風と共に去りぬ」を芙蓉劇場で観たのは、
昭和17年12月22日であることが分かる。

なお、昭和18年1月4日の日記は、徳川夢聲によって後に書かれたものであるが、
「メモに記されたものから判断すると、この夜見たのは「風と共に去りぬ」であつたらしい」
とあって、両日の記述を信用するならば、徳川夢聲はシンガポールで少なくとも二度、「風と共に去りぬ」を観たことになる。

なお、昭和18年1月4日の記述では、徳川夢聲は昭南で観た「軍宣伝部で管理してる米国天然色映画」を、
「血と砂」「風と共に去りぬ」「ファンタジア」の「三本」であるとしている。
しかし、徳川夢聲「昭南映画管見」『映画旬報』78号 (昭和18年4月11日号)P.63-66で挙げられている
「リオの夜」(That Night in Rio, 1941)も天然色映画である。

徳川夢聲が昭南=シンガポールで観たアメリカのカラー映画は、
「風と共に去りぬ」「リオの夜」「ファンタジア」「血と砂」の四本としておくべきであろう。

『夢声戦中日記』(中公文庫,2015)は、「夢声戦争日記」(中央公論社,1960)を底本とし、「適宜選別」されたものである。
「風と共に去りぬ」についての記述のある昭和17年12月22日と、昭和18年1月4日は「夢声戦中日記」にも収録されており、
この一冊のみでも昭南島の映画史研究の史料としては十分だと思う。

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吉野弓亮「昭南島の映画館と劇場」『映画旬報』78号(昭和18年4月11日号)P.11-13
「大東亜劇場」「大和劇場」「馬来劇場」「東方劇場」「南洋劇場」「興亜劇場」「共栄劇場」「印度劇場」「富士劇場」「芙蓉劇場」の写真が掲載されており、
建物の外観を知ることのできる記事として貴重。
「大東亜劇場」と「南洋劇場」については設備等の記述がある。

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北町一郎「昭南と映画」『映画旬報』52号(昭和17年7月1日号)P.13-15
シンガポール占領前後の映画についての記述がとりわけ重要。
北町によれば、昭和17年2月10日か11日頃まではシンガポール市内の劇場では映画が上映されていたが、日本軍の占領により以降休業。
日本軍占領下のシンガポールで初めて映画が上映されたのは昭和17年4月5日であった。
この上映は現地新聞社の従業員と家族向けに行われ、
「漫画」(英語吹き込み版)
「日本の瞥見」(英語〃)
「留日華僑の生活」(中国語〃)
「日本の若人」(マライ語〃)
「日本の工業」(中国語〃)
「花の日本」(英語〃)
「日本海軍の偉容」(マライ語〃)
「日本陸軍の偉容」(日本語〃)
等が上映された。

また、接収されたフィルムについて、
「毎日二本乃至三本位づつ検閲が行はれ、昭南から各地へまはされる。検閲によつて一般公開禁止と決定したものは既に相当の数になるが、その中での大物と云へば、「独裁者」と「風と共に去りぬ」であらう。」
とある。

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日本映画社文化映画部製作課海外班調査「マレー映画界概要」『映画旬報』(昭和17年10月1日号)P.28-29

1938年に上映された映画のアメリカ映画・中国映画・インド映画・イギリス映画の割合等のデータや、
1940年の映画館数などを記したもの。
「或る報告書」と書いており、おそらくはイギリス占領下で作成された資料等を基に書かれているものと思われる。

「シンガポールには製作所が一つあつて年二、三本劇映画が製作されてゐると言ふ帰朝者の話であるが、真偽のほどは不明である。」とあるが、
ショウブラザーズの会社が映画を製作している。

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小木曽潤「マレー映画界寸見」『映画旬報』62号(昭和17年10月11日号, P.14)
昭南市、クアラルンプール、ピナンの映画館について書かれている。
邵兄弟や何亞陸の名前が出て来る、興行者視点よりの記事である。
クアラルンプールの映画館について、「パビリオンが日本劇場、オデオンが、昭和劇場となってゐる」と書かれており、
昭南島以外のマレー半島にもパビリオン、昭和劇場と呼ばれた映画館が存在していたことが判る。

昭南島のパビリオンは芙蓉劇場であり、昭和劇場はアルハンブラである。

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田村幸彦「マレーの映画界」『映画旬報』61号(昭和17年10月1日号)P.23-)
日本軍占領下のマレーにおける地域別映画館数や、シンガポールで当時開館していた11全ての映画館名と旧名、
占領後の開館日、定員数、入場料、上映される映画の種類、興行時間が書かれている絶好の史料。
11館とは、「昭和劇場」「芙蓉劇場」「南洋劇場」「馬来劇場」「印度劇場」「大和劇場」「東方劇場」「興亜劇場」「太陽劇場」「富士劇場」「潮劇場」である。
田村がこの記事を執筆していた当時、大東亜劇場と共栄劇場は「近日開場に成る筈で、目下準備中」であった。

田村によれば昭南の映画館数は38館、そのうち開館中が11館、近日開館が2館、閉館中が25館であるという。
この数は三木茂「マレー人はどんな映画を好むか」『映画旬報』52号(昭和17年7月1日号)P.12と一致しない。

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寺崎浩「マライで観た映画 文化政策を軸として」(昭和18年4月号)P.16-19

「マライの昭南方面にあった映画として傑出」した三本として「風と共に去りぬ」「ファンタジア」「バンブー」を挙げている。
「バンブー」は、「象を扱ったもので」とあり、「ダンボ」の誤記であることが分かる。
寺崎はペナンで「ゾロのマーク」や「ゾロの再現」を検閲した、と書いているが、当時の検閲の状況については書かれていない。
また、寺崎は「風と共に去りぬ」を、「私はこの映画をなぜ公開しないのか分からない」とし、「むしろ現地人よりは日本人に見せるべき映画であると私は信じてゐる。」
「「風と共に去りぬ」に比肩し得る一本の映画も造り得ぬ日本を私は口惜しく思つた。」と記し、
それが当時の映画雑誌に掲載されていることは注目してよいと思う。

寺崎浩は昭和16年11月から昭和17年12月まで陸軍報道班員としてマレーに徴用。
その時の体験を書いたのが、
寺崎浩『戦争の横顔 陸軍報道班員記』(太平出版社, 1974)
であるが、映画の検閲及び上映については特に描かれてはいない。

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永見隆二「昭南島・マライ随想」『映画評論』(昭和18年4月号)P.20-23

「シンガポール総攻撃」の脚本家によるシンガポールとマレーの映画的状況の随想。
昭和17年6月から、昭和18年3月にかけて永見は現地に滞在した。

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「シンガポール総攻撃」の撮影についての当時の映画雑誌記事目録

「忠魂永久に薫る マレー血戦記 大映東京第二撮影所作品・陸軍省後援 島耕二演出」『映画之友』(昭和17年6月号)P.30-32

「現地撮影先発隊の意気益々旺盛! 「マレー血戦記」現地報告第一報」『映画之友』(昭和17年8月号)P.54-55

「マレー血戦記」先発隊第一報」『映画(』昭和17年8月号)P.38-39

「シンガポール総攻撃」撮影中間報告『映画之友』(昭和18年2月号)P.9

三浦信夫「ロケ隊マライを征く」『新映画』第3巻第4号(昭和18年)P.82-83

陸軍省報道部陸軍少佐 西山勝 大映第二撮影所企画部長 三浦信夫の対談
「「シンガポール総攻撃」と新らしい戦争映画」『映画』昭和18年2月号P.34-38

「「シンガポール総攻撃」特集」『映画』(昭和18年5月号)P.20-24
「陸の大戦果をとり上げた意義と製作の抱負と覚悟」
「撮影隊は兵隊さんと肩を並べて再び歴史的進撃を」
「想起せよ!英国の東亜侵略と皇軍の果敢な勇戦を」 の項目に分かれている。

村田宏壽「私の撃ちてし止まむの記―思出のシンガポール」『映画』(昭和18年5月号)P.24-25
村田は大正時代に久原商事の社員としてシンガポールに三年程滞在。
その時に観た排日映画に憤り、映画界入りをした役者である。
「シンガポール総攻撃」(1943)では、山本少佐役を演じた。

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小出英男関連記事

「マライで見た印度映画の感想」『映画評論』(昭和18年2月号)P.60-64

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三木茂関連記事

三木茂、飯田心美、友田純一郎、池田照勝、林勝俊「三木茂氏の南方報告」『映画旬報』50号(昭和17年6月11日号)P.8-14
三木茂と飯田心美、『映画旬報』誌の友田純一郎、池田照勝、林勝俊による座談会形式の記事。
「日本の軍報道班は独逸のPKとは違ふ」
「軍の意志で映画を撮る」
「軍製作記録映画「昭南島」の話」
「南方の撮影条件区苦渋なし」
「最も重要な問題は現地への娯楽補給である」
「アメリカ映画の技術を追求せよ」
「南方輸出の諸条件」
「技術の革新について」
「現地の娯楽状態は?」 の項目に分けられている。

日本の映画人の眼に映った占領初期のシンガポールの映画的状況の記述として貴重。

三木茂「マレー人はどんな映画を好むか」『映画旬報』52号(昭和17年7月1日号)P.10-12
「馬来半島ニ於ケル映画館数」として、以下の数が記されている
昭南市 二十七軒
馬来全島 百二十軒
英陸軍 九軒
英海軍 二軒
英警察 一軒

この数は田村幸彦「マレーの映画界」『映画旬報』61号(昭和17年10月1日号)P.23と一致しない。

野村裕也「陸軍報道班員 三木茂氏に南方縦横談を訊く」『新映画』第2巻第7号(昭和17年)P.44-49
「従軍までの経過」
「新作「昭南島」に就いて」
「昭南島に於ける映画製作」
「今後の南方映画」
「昭南島で観た映画」
「映画国策の面」
「次の作品」 の項目で書かれている。

採録 三木茂「「昭南島誕生」の構成 マレー戦記第二部」『文化映画』昭和17年9月号P.40-47

「昭南島誕生」の台本。

なお、「昭南島の誕生」のスチール写真が『文化映画』昭和17年9月号冒頭扉写真ページにある。

「昭南島誕生」についての当時の評論としては、
登川尚佐「マレー戦記 進撃の記録 昭南島誕生」『文化映画』昭和17年9月号P.56-57
を参照。

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by tokyomonogatari | 2012-02-13 21:08 | 南方映画史メモ

日本軍占領下シンガポールにおける映画上映(2:書き途中)

(2)日本軍占領下シンガポールにおける野外上映と巡回映写

シンガポールにおける巡回映写は、第二十五軍宣伝班と映画配給社によって行われた。
史料から知ることのできる巡回映写の情報は乏しいが、手元の史料で分かる限りを記したのが以下である。

時期不詳 キャセイビル前の瑞穂広場
「新しき土」の野天公開*

昭和18年2月16日夜 20:30より コタラジヤマライ学校校庭
「日本ニュース」「マライ戦記」**

昭和18年2月16日夜 21:00より ゲラン・ジュチア広場
「日本ニュース」「マライ戦記」***

昭和18年2月17日夜 20:30より ブキテマ三叉路付近広場
「日本ニュース」「マライ戦記」****

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(註)
*徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号(昭和18年4月11日号) P.65
**「昭南新聞」
***「昭南新聞」
****「昭南新聞」
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(3)日本軍占領下シンガポールの映画館

(3-1)日本軍占領下シンガポールの映画館名

大東亜劇場
旧名はキャセイ Cathay
「戦時の破壊のためにしばらく修理」*の後に日本軍人・軍属向けに開館**。
定員は1200名***。
「冷房装置を持つた堂々たる一流館」で「戦前には当地の代表館として鳴らしたもの。」で、「贅沢な設備をした気持ちの良い劇場」****であった。

キャセイ・ビルの建物の下部にキャセイ・シネマ=大東亜劇場があり、上部にはキャセイ・ホテルがあった。
シンガポール時代の小津安二郎が滞在したのはキャセイ・ホテルであり、アメリカ映画を観ていたのも同じキャセイ・ビルである*****。

キャセイ・ビルには軍報道部専用の検閲試写室があった。
小津組のキャメラマンの厚田雄春が検閲試写室の責任者を務め、現地のオペレーターが映写。「市民ケーン」や「ダンボ」や「ファンタジア」や「風と共に去りぬ」等の敵性映画を観た******。

なお、小津安二郎はイギリス統治下のシンガポールの設定で映画を撮るために、
日本軍占領下のキャセイ・ビルにユニオン・ジャックを翻している*******。

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(註)
*北町 P.14

**田村 P.23が書かれた時=「シンガポールを攻略してから満六ヶ月」には、まだ近日開場となっていた。

***田村 P.23 ただしWikipediaのCathay Buildingの項ではCathay Cinemaの定員を1300名としている。
Wikipediaの同記事によれば、シンガポールで初めての空調設備を有する映画館がCathay Cinemaであった。

****田村 P.23

*****記述するにあたって注意したいのは、小津安二郎がアメリカ映画を観た検閲試写室は、
キャセイ・ビルの中にあって、キャセイ・ホテルの中にあるとは言えないのではないか、ということである。
都築政昭『小津安二郎日記 無常とたわむれた巨匠』(講談社,1993) P.161、及び『「小津安二郎日記」を読む 無常とたわむれた巨匠』(ちくま文庫, 2015) P.195では、
「キャセイ・ホテルの中に試写室があり」とされているが、
「キャセイ・ビルの中に試写室があり」としておく方が確かだと思う。

高橋治「幻のシンガポール」では、敵性映画の上映について以下のように記述されている。
「時間制限はあっても、映画館は常設館なのだから、昼間から小津のために映画を上映させることは出来ない。夜の興行が終わってから見るせいで、終るのが深夜になる。夜更かしが続き、小津はめったに昼間出歩くことがなくなった。」
(高橋治「幻のシンガポール」『絢爛たる影絵 小津安二郎』(岩波現代文庫, 2010)P.374)

つまり、高橋治は大東亜劇場のスクリーンで小津安二郎が敵性映画を観たように描写している。
無論、「絢爛たる影絵」及び「幻のシンガポール」は「ノンフィクション・ノベル」であって、
無批判に史料として活用することは出来ない。

小津が敵性映画を観た場所は、厚田雄春の証言では「キャセイビル」の「報道部専用の検閲映写室」である。(厚田/蓮實 P.133)
検閲映写室のスクリーンは大東亜劇場のスクリーンとは別のものであろう。

******厚田雄春/蓮實重彦『小津安二郎物語』(筑摩書房,1989)P.133-134
なお、厚田雄春によれば、「これはシンガポールとジャワで大変人気のある映画なんだ」と現地の人に言われ、観た映画が
「ウォーターロー・ブリッジ」=哀愁 Waterloo Bridge (1940)であったとのことだが、
当時の映画雑誌のシンガポール関連記事、ジャワ関連記事にWaterloo Bridge(1940)に関する記述は見当たらない。

*******厚田/蓮實 P.132
なお、厚田/蓮實 P.132の「ジャカルタ」の「日映の現像所」は日本軍が接収したムルティ・フィルムを指すと推断される。
ムルティ・フィルムについては、倉沢愛子『日本占領下ジャワ農村の変容』(草思社,1992)「第6章 宣撫工作: ジャワにおける宣伝映画の制作」を参照。
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「これは、昭南の十二階と通称されてゐる、カセイビルの下部を劇場としたもので、堂々たる劇場である。
カセイビルは、陸軍報道部、昭南放送局などの存在する建物で、高さから云ふと昭南第一、兵隊さんが「十二階」と呼ぶのは日本的の感じを出したまでで、本当はもっと高く(正確な階数は忘れて了つた、私は指をチョンㇸとやって勘定したのであつだのだが、南ボケのせいか、年齢のせいか想ひ出せない。たしか十七階ぐらゐではなかつたかしらと思ふ。)われㇸオノボリ連の、好い目標になるのであつた。位置は、カニング丘のすぐ東北である。放送局の窓から見ると、例のカニング要塞の軍艦みたいな、標識塔とマストとが手近に見える。マストには無論、日の丸の旗が翻へり、その下には目下皇軍第○十○軍の総司令部になつてゐる。
この劇場は、映画専門といふ譯でなく、皇軍慰問の催しは、なんでも上演される。私たち放送協会派遣慰問団も、此処で一夜兵隊さんたちに御目見えした。マライ人やインド人の、皇軍慰問舞踏音楽なども此処だ。
入場人員は千五百名ぐらゐ、ぎつしり詰めて二千名ぐらゐ、と聴いたやうに憶ふ。
十一月上旬、私たちが到着した頃、この劇場で「マレー戦記」を上映してゐた。この長編記録映画の第二部「昭南島誕生」は私が解説を吹き込んでゐるので、一寸奇異の想ひがした。当人と、当人フイルムに焼きつけられた聲とが、同時に昭南の空気を躍動させる事になつた譯である。
十二月中旬、私は陸軍病院を出て、放送局に用件があり毎日のやうに通つたが、その頃、この劇場では東宝映画「婦系図」をやつてゐた。
われㇸが、敵性映画「フアンタジア」を特に見せて貰つたのも此所であつた。
此所は然し、軍宣伝部の管理経営する劇場であるから、原則として軍人軍属のみの入場を許し、時によると球場してゐる場合もある。玄関には、俗にバンガリといふ、あれであらう、頤髭を生やした立派な顔をした印度人がゐて、私たちがコソコソ通れば怪しげにジロジロ見るし、堂々と闊歩して歩けば敬礼する。」
(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.63)


「「日本にはカセイビルの如き大建築物があるか?」昭南島の現地人は先頃、日本人を捉へてきまつてこの質問をやるのであつた。
彼らの言葉の中には、日本の文化施設の一端を知らうとする殊勝な心掛けよりか、この十六層の建築物の膨大な規模と設備とを自ら十二分以上に認めてゐる口吻があるし、それより先に、彼らの主観を日本人に要請することにより、日本人を彼らと同様に素直に之を驚嘆の眼を瞠ることを期待してゐる態度が見られるのである。だから、日本人が故意に平静を装つて(無数にある!!)と云い放つことは、即ち日本文化の一端を誇示することになり、こうした質問に内心何か反発的なものを覚える日本人の通有性として当然な言葉でもある譯である。
この建築物の一部に属するカセイ劇場を華僑は国泰大戯院と支那流に呼ぶことが出来たとしても、マライ人が(トアンの国にはこんなに大きな云々)と我がことのやうに誇つて見た所で彼ら現地人との間は風馬牛の超然たる関係にあつたのである。このカセイビルが戦前は英国極東情報局と放送局の本部であつたことは、延いて有色人種の禁制区域となりその一連の関係にあるこの劇場も「ホワイト・オンリ」を無言の標榜としてゐたことは或は当然かもしれない。」
(吉野弓亮「昭南島の映画館と劇場」『映画旬報』78号(昭和18年4月11日号)P.11)


大東亜劇場は原則的に皇軍専門館であったが、現地人向けに開場されることもあった。

「記録映画「マレー戦記」を大東亜劇場で、毎日替り特別アトラクシヨンをつけて、入場無料で一般に公開したりしてゐる。
「マレー戦記」の山下・パーシバル会見の場なぞ、現地人に多大の感銘を與へ、殊に馬来人は快哉を叫んだといふ話だ。」
(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.65)

また、邦人向けの衛生知識啓発のための「映画と公演の夕」が昭和18年8月14日に開催されている。
(アジ歴C14060550600:「戦時月報(軍政関係) 馬来軍政監部 昭和18年8月31日/衛生」P.2)

昭和18年11月14日から20日は、「日本語普及週間」とされたが、その際に全マライ日本語演説大会が行われている
(アジ歴C14060559400:「戦時月報 馬来軍政監部 昭和18年11月30日/内政/4.文教」 P.2)


共栄劇場
旧名はキャピトール
定員は1564名
冷房装置あり

スタームフォードロードにある映画館

昭和18年3月10日 興南奉公会の第一回大会の会場としても使用された。
(アジ歴C14060538000: 戦時月報(軍政関係) 富集団司令部 昭和18年3月末日調/第1 総括 P.2)


芙蓉劇場
旧名はパヴィリオン
定員は617名、昭和17年4月29日に開館*
冷房装置あり

オーチャードロードにある映画館
この劇場の東隣りに、映画配給社の昭南支社があった。

「大東亜劇場を出て、右へ廣い道路が走つてゐる。これがオーチャード・ロードといふやつである。何も通りの名前などは何うでも好いけれど、私が名を知つてゐる唯一の通りであるから特に記しておく。
この通りを人力車(ヤンチョー)で行くこと七分ぐらゐ、左側に一きは目立つ建物が、芙蓉劇場である。もと何んといふ名前だつたか知らないが、とにかくシンガポール時代に一流の所だつたらしく、内部は英国好みの絢爛金ピカであつたやうに憶ふ。廣さは、武蔵野館ぐらゐであらうか。
此所も軍人軍属を客とする劇場である。私が敵性映画「風と共に去りぬ」や「リオの夜」を見せて貰つたのは此所の特殊試写に於てである。」
(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.63)

なお、徳川夢聲が「風と共に去りぬ」を芙蓉劇場での試写会で観たのは、
昭和17年12月22日である。
→徳川夢聲『夢声戦争日記(二)(中公文庫, 1977年)P.198 を参照。

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(註)
*田村 P.23
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昭和劇場
旧名はアルハンブラ
定員は990名、昭和17年4月29日開館
冷房装置あり

ラッフルズ広場にある映画館

北町一郎と田村幸彦、そして田中純一郎は、昭和劇場の旧名をアルハンブラまたはアルハムブラと記述している。
(北町一郎「昭南と映画」『映画旬報』52号(昭和17年7月1日号)P.14)
(田中純一郎『日本映画発達史3 戦後映画の解放』(中公文庫, 1976) P.120)

旧名はカピトールと徳川夢聲は書いている。
(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.63)

以下の徳川夢聲の記述は、「昭和劇場」を描写しているのか、カピトール=「共栄劇場」*を描写しているのかは不明であるが、
「昭和劇場(アルハンブラ)」の定員が990名に対し、「共栄劇場(キャピトール)」の定員は1564名であり、
「昭南第一」の記述により相応しいのは共栄劇場であるように思われる。→シンガポールの街並みの調査必要

「東亜劇場**の前が、芝生の廣場になつてゐて、――無論この芝生は年がら年中青々としてゐて、そこには豆科喬木の老樹が林立し、燃えるやうな赤い花を、年がら年中つけてゐる。もつとも全部の樹が年中花をつけてゐるといふ意味ではない。交代に咲いてゐるという譯だ。
この芝生の左側の道(東側)を通つて行けば、海岸通りへ出る、―左側が昭南旅館、つまり元のラツフルズ・ホテルだ。
この芝生の右側を進めば―やつぱり海岸通りだが―そこを途中から右へ曲ると昭和劇場の入口となる。
これはもとカピトールと云つた劇場で、映画館としては、場所から云つても、おそらく昭南第一ではないかと思はれる。
私は、此所で敵性映画「血と砂」を見たが、座席の感じの好いこと無類であつた、やうに記憶する。
堂々と乗り込んで行つたら、若い髭の無い印度人(それも馬来人だつたか)が、恭々しく私を二階の特等席へ案内して、十銭しかとらなかつた***。
此所は、一般現地人も入れる。」

(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.63)


ただし、徳川夢聲は『夢声戦争日記」の昭和17年12月22日に、

「それから私たちはカピトル(共栄劇場)へでも行こうかと相談して車を走らせたが、」
(徳川夢聲『夢声戦争日記(二)』 (中公文庫,1977)P.198)

と記しており、日記ではカピトルと共栄劇場の整合が取れている。

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(註)
*田中純一郎(1976)P.120では共楽劇場の旧名がキャピトールとされていて、
これは「共栄劇場」を「共楽劇場」とした誤植であると思われる。
当時の映画雑誌に掲載された写真では、共栄劇場の建物外装に「Capitol Theatre」という文字装飾が見られる。
(吉野弓亮「昭南島の映画館と劇場」『映画旬報』78号(昭和18年4月11日号)P.13)

**東亜劇場は原文ママ。大東亜劇場の誤植であろう。

***田村 P.23によれば、昭南島の映画館には「皇軍兵士の為に十銭均一の皇軍席」が設けられており、徳川夢聲は軍人/軍属扱いでこの待遇を受けたのではないかと推測される。
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東方劇場
旧名はパレス・ゲイ
定員は900名、昭和17年4月29日開館

「これは、カニング要塞前の大通りを、ずつと西へ行つた左側、陸海軍病院の近くにある劇場で、いつも支那映画をやつてゐた。
「建設戦」によつて見ると
孟麗君上下集(十九巻)
桃花湖(九巻)
黒衣盗(十巻)
陳世美物語(北京語版・九巻)
薄命佳人(九巻)
と云ふやうなものを上映してゐる。
前を通る度に、一応入てつて見やうㇸと思ひながら、遂に望みを達しなかつた。これはかへすㇸも残念である。「北京語」版が特に断つてあるところを見ると、ほかの作品は廣東語、福建語といふやうなものであるらしい。日本なら「東京版」があつて「青森版」「鹿児島版」があるという譯か。

(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.64)

大陸劇場

「これは歓楽場「大世界」の中に在る洋画館である。滑稽香得艶情趣大喜劇「初解風情」といふ看板を見て、私は支那映画かと思つたら、ミッキー・ルーニー、ルイス・ストーン主演のベイ映画であつた。
尚この「大世界」の内には△新亜劇場といふ、支那映画の小屋も在る。私が行つた時委は、歴史映画「文素臣」といふのをやつてゐた。
大世界に対して、東の方には「新世界」といふ歓楽場*がある。こゝにも、洋映画館と、支那映画館と二軒ある。私が行つた時は、前者は「英宮秘史」といふのを上映、後者は「桃季争春」といふのを上映してゐた。」

(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.64)

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(註)
*昭和初期の「新世界」については、金子光晴による記述がある。
金子光晴『マレー蘭印紀行』(中公文庫, 2004) P.130-134 参照。
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新亜劇場
「支那映画の小屋」
→「大陸劇場」を参照

東京劇場

「この「東劇」は、クアラ・ランプールの何とかといふ歓楽場の中に在るのである。私が行つた時は、
非州旅行歴険記(トレーダー・ホーン)
を上映してゐた。

(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.64)

朝日館

(「東京劇場」のある歓楽場と)
「同じ場内に△朝日館といふ支那映画館が在つて。予定の映画が到着せず、代りの作品をご覧に入れるといふ立看板が出してあつた。
本館原定今晩放映之「王老生」
因影片未到 改映「天長地久」
「王老生」佳展至下期起映
「放映」「改映」「起映」などは面白いと思つた。「影片」はフイルムであろう。」

(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.64)

南洋劇場
旧名は皇后劇場/皇后戯院=クイーン
定員は620名 昭和17年4月29日開館

「カラン空港に近い、これは戦前<皇后劇場>と呼ばれたと云う映画劇場でもあるが、名は体を表はした体裁を備えてゐるのでは決してない。
一回の土間に長椅子を並べた馬来人向けの寄席(この言葉は妥当だ)で、例のロンゲンとワンヤンと寸劇をうつてゐる常舞台でもある。」

(吉野弓亮「昭南島の映画館と劇場」『映画旬報』78号(昭和18年4月11日号)P.13)

富士劇場
旧名はロキシー
定員は1012名 昭和17年6月18日開館

ランジョンロードにある映画館

潮劇場
旧名はマルボロー
定員は800名 昭和17年7月10日開館

ラッフルズ広場にある映画館

大和劇場
旧名はパレス
定員は1600名、昭和17年4月29日開館

印度劇場
旧名はローヤル
定員は900名 昭和17年4月29日開館

馬来劇場
旧名はゲーリック
定員は561名 昭和17年4月29日開館

昭南劇場
旧名はヴィクトリア・ホール
by tokyomonogatari | 2012-02-10 01:25 | 南方映画史メモ

日本軍占領下シンガポールにおける映画上映(3:書き途中)

(3-2)日本占領下シンガポールの映画館の上映時間

昭和17年8月頃*の昭南島における映画館の上映時間

「目下各映画館は平日は午後三時と六時の二回、土曜日と日曜日とは、午後一時、三時半、六時の三回興行を行つて居る。一本立てであるから、大抵二時間半位で一興行は終了する。」

(田村幸彦「マレーの映画界」『映画旬報』61号(昭和17年10月1日号)P.23-)

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(註)
*田村の記述に、「皇軍がシンガポールを攻略してより満六ヶ月」とあることから、
昭和17年8月頃としている。
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「昭南新聞」昭和20年5月31日2面「映画案内」に上映時間の記載あり

大東亜劇場
日曜は従来通り→2回上映を意味すると思われる
その他の曜日は14時、土曜日は消毒休業

芙蓉劇場
日曜は従来通り→2回上映を意味すると思われる
その他の曜日は20時

帝国館
日曜は2回、平日は1回上映

馬来劇場
日曜は2回、平日は1回上映

昭和20年7月1日より、上映時間が変更(「昭南新聞」昭和20年7月1日2面「映画館上映時間変更通知」)

大東亜劇場 
日・月・水・金曜の14時と20時
火・木曜は14時
土曜日は休業

芙蓉劇場 
日・月・木・土曜の14時と20時
火・水・金曜日は20時

帝国館
毎日 15時と20時

馬来劇場
毎日 15時と20時半

(4)日本軍占領下シンガポールの映画館での上映映画タイトル

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共栄劇場
昭和18年2月15日-18日
「マライ戦記(邦語版」

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昭和劇場
昭和18年2月15日-18日
「マライ戦記(邦語版)」

昭和20年2月20日 20:00より
貯蓄奨励現地人慰安映画会を開催
「母校の花形」

昭和20年2月22日-26日
「スパイに注意」「世界電影新聞54号」「母校の花形」

昭和20年3月22日-28日
「南方報道31号」「風の又三郎」

昭和20年5月3日-9日
「狸御殿」「勝利の日」「世界電影新聞」

昭和20年5月10日-16日
「萬○千紅」

昭和20年7月12日-18日
「父ありき」

昭和20年8月16日-23日
「二刀流開眼」

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大和劇場
昭和18年2月15日-18日
「マライ戦記(華語版)」

昭和20年5月10日-16日
「萬○千紅」

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東方劇場
昭和18年2月15日-18日
「マライ戦記(華語版)」

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富士劇場
昭和18年2月15日-19日
「五人の斥候兵(マライ版)」

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大東亜劇場(皇軍専用館)

昭和17年11月上旬
「マレー戦記」
(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.63 による)

昭和18年2月16日-18日
「東洋の凱歌」
(徳川夢聲「昭南映画界管見」『映画旬報』 78号, 昭和18年4月11日号, P.63 による)

昭和20年3月22日-28日
「日本ニュース278号」「花子さん」

昭和20年2月22日-28日
「スパイに注意」「鞍馬天狗」

昭和20年5月3日-9日
「日本ニュース243号」「土俵際」

昭和20年5月10日-16日
「日本ニュース244号」「兄妹会○」

昭和20年5月30日-6月6日
「河童大将」

昭和20年7月5日-11日
「四国だより」「節約夫人」

昭和20年7月12日-18日
「新門○五郎」

昭和20年8月16日-23日
「南の風」

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芙蓉劇場(邦人専用館)
「昭和18年2月15日-18日
「水戸黄門漫遊記」

昭和20年2月22日-28日
「スパイに注意」「キャラコサン」

昭和20年3月22日-28日
「日本ニュース278号」「花子さん」

昭和20年5月3日-9日
「日本ニュース244号」「元禄○○」

昭和20年5月10日-16日
「日本ニュース238号」「土俵際」

昭和20年7月5日-11日
「○能線戦○」「旗本隠密」

昭和20年7月12日-18日
「四国だより」「節約夫人」

昭和20年8月16日-23日
「瞼の母」

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帝国館
昭和20年2月24日-27日
「世界電影新聞55号」「出征前十二時間」

昭和20年3月22日-26日
「男」

昭和20年5月10日-14日
「秀子の応援団長」

昭和20年5月15日-17日
「青春の気流」

昭和20年7月3日-5日
「母子草」

昭和20年7月6日-10日
「海征かば」

昭和20年7月11日-15日
「希望に立つ」

昭和20年7月16日-18日
「決戦の○○」

昭和20年8月16日-19日
「鞍馬天狗」

昭和20年8月20日-23日
「父ありき」

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潮文化映画劇場
昭和20年2月22日-28日
「世界電影新聞69号」「大東亜ニュース78号」「ミンナゲンキダ」「列車猛進」「健康ナ身体」

昭和20年3月22日-28日
「東京交響楽」「スポーツの一年」「男の意気」「世界電影新聞58号」

昭和20年8月16日-23日
「富士に誓ふ」

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大世界文化映画
昭和20年2月22日-28日
「大東亜ニュース3号」「昭南島誕生」7

昭和20年3月22日-28日
「世界電影新聞57号」「世界電影新聞59号」「○」「○が○○」「○○の○○」

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馬来劇場
昭和20年5月3日-5日
「轟沈」

昭和20年5月6日-10日
「母は死なず」

昭和20年5月14日-17日
「次郎物語」

昭和20年7月5日-7日
「希望に立つ」

昭和20年8月20日-22日
「日本の母」

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東方三館→館名不詳
昭和20年5月10日-16日
「萬○千紅」
by tokyomonogatari | 2012-02-09 11:29 | 南方映画史メモ

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島における「西住戦車長伝」

(1)マライ語版「西住戦車長伝」の製作

 昭和17年10月1日、ジャワ映画公社設立。

 日本映画のインドネシア人への一般公開が企画され、南洋映画協会の委託で三橋哲生により
 「西住戦車長伝」「支那の夜」「東京の女性」「孫悟空」「青春の青空」の5タイトルが持ち込まれた。
 その中から選出されたのが、「西住戦車長伝」であった。

 「西住戦車長伝」はフィルムをデュープし、要所要所に字幕を追加し、トップタイトルの音楽を消すなどして随所にマライ語を吹き込んだバージョンがインドネシア人向けに製作された。
 マライ語版「西住戦車長伝」の製作には、接収したオランダの映画会社ムルティフィルムの機材が利用された。

 マライ語版「西住戦車長伝」はジャカルタ、バンドン、スラバヤの三都市で昭和17年10月11日に封切られ、「風と共に去りぬ」の現地封切成績を凌駕する程に人気を博した。

 マライ語版「西住戦車長伝」は巡回映写隊も携行し、多くのインドネシア人が鑑賞することとなった。

(2)「西住戦車長伝」のジャワ島の映画館での上映

 日本軍占領下のジャワ島の映画館で上映された映画のタイトルは、『ジャワ新聞』の映画情報欄を見れば、
 掲載されている映画館に限り知ることができる。

 ただし、『ジャワ新聞』の創刊が、開戦1周年を記念した昭和17年12月8日であることから、
 「西住戦車長伝」の封切りからおよそ2ヶ月の間は、それが上映されたことを紙面で確認することは不可能である。

 以下は、『ジャワ新聞』映画情報欄に現れる「西住戦車長伝」の上映期間と、上映館。

 八千代スネン(ジャカルタ)での上映
 昭和17年12月13-19日

 八千代タナン(ジャカルタ)での上映
 昭和17年12月20-26日

 弥生映画劇場 (ジャカルタ)での上映
 昭和18年4月15-21日

 日本劇場(スラバヤ)での上映
 昭和18年10月1-10日
by tokyomonogatari | 2011-12-08 22:15 | 南方映画史メモ

「南方映画史メモ」 記事索引

1. 日本軍占領下インドネシアにおける映画上映に関する記事索引

日本軍占領下インドネシアでの巡回映写
http://tokyostory.exblog.jp/14014369/

『ジャワ新聞』の映画上映欄について
http://tokyostory.exblog.jp/14007255/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(1)
http://tokyostory.exblog.jp/14007214/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(2)
http://tokyostory.exblog.jp/14007168/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(3)
http://tokyostory.exblog.jp/14007160/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(4)
http://tokyostory.exblog.jp/14007138/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(5)
http://tokyostory.exblog.jp/14007104/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(6)
http://tokyostory.exblog.jp/14007080/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(7)
http://tokyostory.exblog.jp/14007054/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(8)
http://tokyostory.exblog.jp/14007015/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(9)
http://tokyostory.exblog.jp/14007004/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(10)
http://tokyostory.exblog.jp/14006990/

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(11)
http://tokyostory.exblog.jp/14006966/

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昭和17年、インドネシアジャワ島の映画館で上映された映画タイトル
http://tokyostory.exblog.jp/9862191/

日本軍政直前期(~1942)のインドネシア映画について (記述中)
http://tokyostory.exblog.jp/15573221/

「ジャワ新聞」 映画館情報欄に見受けられる「支那の夜」の上映日時
http://tokyostory.exblog.jp/15530444/

インドネシアジャワ島での「おしゃべりクロモおじさん」(1943)の上映
http://tokyostory.exblog.jp/8586401/

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(2)戦時中の雑誌の南方映画関連記事リスト

戦時中の映画雑誌のインドネシア映画関係記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/8028849/

『映画旬報』 インドネシア映画関連記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/6151895/

『ジャワ・バル』 Djawa Baroeの映画・演劇系記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/6052427/

戦時中の映画雑誌のマレー・シンガポール映画関連記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/19961513/

戦時中の映画雑誌のフィリピン映画関係記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/9961888/

戦時中の映画雑誌のビルマ映画関係記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/7132054/

『映画旬報』 ビルマ映画関係記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/6151830/

『映画旬報』 タイ映画関係記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/6151793/

『映画技術』(昭和16~18年) 南方映画関連記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/5950163/

『映画』 南方映画関連記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/7514305/

『映画之友』 南方映画関連記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/7481320/

『映画評論』 南方映画関連記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/7424023/

『文化映画』 南方映画関連記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/7411103/

『新映画』 南方映画関連記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/7170112/

『日本映画』 南方映画関連記事リスト
http://tokyostory.exblog.jp/6610798/

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(3)その他

「ジヤワの劇映画作品目録」と「南方演藝記」の「音」について
http://tokyostory.exblog.jp/5914301/

「マライ映画断想」(昭和十八年)に表れる映画名リスト
http://tokyostory.exblog.jp/5297354/

「南方演藝記」(昭和十八年)に表れる映画名リスト
http://tokyostory.exblog.jp/5253446/

by tokyomonogatari | 2011-03-25 01:48 | 南方映画史メモ

日本軍占領下インドネシアでの巡回映写

1.ジャワ

 ジャワ上陸後間もなく、ジャカルタの宣伝班映画本部を中心としてスラバヤ、スマラン、ジョクジャ、バンドンの支部にそれぞれ巡回映写班が設けられた。

 この頃の体験談としては、横山隆一と安田清夫のもの(1)がある。
 横山はジャカルタ→バンドン→ガロー→タシクマラヤ→マゲラン→ジョクジャ→ソロ→ケジリ→スラバヤ→マラン→バニワンギ→バリ島→ジャカルタのルートを2ヶ月で巡回し、文化映画「日本の陸軍」「日本の海軍」「日本の若人」を、約40回上映した。
 安田はその3本に加えて「陸軍の精鋭」「工業日本」を携行した。

 宣伝班は内地から映写機、小型発電機(ホームライト)を持ち込んだが、映画館での上映には備え付けのアメリカやドイツ製の映写機があり、携行した日本製を使うまでもなかった。
 国産のオールフォン・ポータブルは数万人の群衆が集まる野外映写に用いるにはあまりにも貧弱で、接収したシンプレックスを使用した。

 昭和17年10月1日、ジャワ映画公社が設立される。
 劇映画のインドネシア人への一般公開が企画され、南洋映画協会(2)からの委託で東宝営業部長三橋哲生(3)が持ち込んだフィルム、「西住戦車長伝」「支那の夜」「東京の女性」「孫悟空」「青春の青空」の5タイトルの中から、「西住戦車長伝」が選定された。
 「西住戦車長伝」のフィルムをデュープし、要所要所に字幕をつけ、トップタイトルの音楽を消すなどして随所にマライ語を吹き込んだバージョンが接収したオランダの映画会社ムルティフィルムの機材(4)を利用して製作された。

 マライ語版「西住戦車長伝」は10月11日から封切られ、「風と共に去りぬ」の現地封切成績を凌駕するほどの人気を博すこととなった。

 マライ語版「西住戦車長伝」は巡回映写隊によっても各地で上映された。 
 この頃の巡回映写班の数は、ジャカルタに2、スラバヤに2、スマラン、バンドン、ジョクジャカルタに1ずつの計7班であった。(5)
 
 「西住戦車長伝」に次いでマライ語版が製作されたのは、「ハワイ・マレー沖海戦」である。
 マライ語版「ハワイ・マレー沖海戦」は、ジャワ祭の第一日目、3月1日に公開された。封切上映館での入場料を10セント均一とし、同時に無料での野外映写が行われた。
 ジャワ祭の五日間で、有料無料合計して300万人の観客動員数を達成。これに勢いを得て7月1日~16日の七大都市で行われた米英撃滅大会での巡回映写が行われることとなり、映写班4班が各地を廻ることとなった。

 第1班はジャカルタ、バンドン、スラバヤ、スマラン、ソロ、ジョクジャカルタ、マランを巡回、第2班はボジョネゴロ、ケデリー、ブスキ、マヅラ島、マデオン、マランの6州43ヶ所を、第3班はプリアンガン、バニュマス、ケドウ、ジョクジャカルタ、スラカルタ、ボゴールの6州76ヶ所、第4班はジャカルタ、パテー、スマラン、ペカロンガン、チレボン、バンタムの各州内78ヶ所で上映を行った。各班の人員は日本人引率責任者1名、現住民映写技師3名、解説者現住民1名、映写機及びホームライト設備宣伝自動貨車1台、連絡用乗用車1台、運転手2名が普通であった。携行したフィルムはマライ語版「ハワイ・マレー沖海戦」は勿論の事、「大東亜ニュース」「ジャワ時事月報」「日本陸軍の威容」「日本の海軍」「日本の若人」「戦車」であった。
 映画が始まるのは午後9時頃からであり、その前座として演説や講演のほか、宣伝班資料室製作の紙芝居の上演が行われた。(6)
 
 昭和18年4月1日、映画配給社ジャワ支社が発足し、巡回映写活動が引き継がれた。
 この頃の資材はジャワ全島各地の支部と合算しても、映写機8、巡回用宣伝用貨車3、乗用車5台に過ぎなかった。
 巡回用宣伝用貨車とは、ドイツのPK(Propaganda Kompanie: 宣伝部隊)が使用しているものに倣って製作した車輛であり、現地のオランダ人技師に作らせたものであった。
 この車輛に発電機・ホームライト、映写機、マイクなど映写に必要な機材を全て搭載して各地を巡回した。(7)
 
 映画配給社ジャワ支社の巡回映写隊は、昭和18年7月には、1日にバンドン、5日はジョクジャ、6日ソロ、8日スマラン、10、12日スラバヤおよびマランを廻り、13日から22日には各郡でインドネシア人向けに「西住戦車長伝」を上映した。(8)

 8月26日からはバニュマス州の各僻村を巡回し、「ハワイ・マレー沖海戦」や「ジャワニュース」「大東亜ニュース」などを映写、9月7日までに12ヶ町村を巡回の予定で活動した。(9)

 また、10月18日から月末までには、マラン州ルマジャン県、ブスキ州ルマジャン県、ジェンベル県、バニュワンギ県の各僻村を巡回した。この際には宣伝部マラン工作隊、マラン啓民文化指導所員らの講演と合わせての映画上映が行われた。(10)

 映配ジョクジャカルタ出張所は12月14日ナングランを始め月末までにケドウ、マヂウン、スラカルタ、ジョクジャカルタの二州、両候地に巡回映写隊を派遣し、「シンガポール総攻撃」や短編映画、ニュース映画を上映した。(11)

 宣伝部バンドン地方工作隊は12月15日から22日までに「マレー戦記」を携えてプリアンガン州のバンジャラン、チチャレンカ、チバト、チカトマス、チジュラン、マノンジャヤ、ダルマラジヤ、タンジョンサリなど各地を巡回した。(12)

 「シンガポール総攻撃」を携えた映配ジャワ支社の巡回映写隊は、12月18日から29日までにバンテン州内を、セラン、パンテグラン、ランカスピートン、レバク、チレゴン、ケルタ、マレンピ、キハラ、キマデリ、パヤ、マドルの順で巡回した。(13)
 また、昭和18年7月から5ヶ月の間にジャワ島の220ヶ所で「ハワイ・マレー沖海戦」の巡回映写を行ったと記録にある。(14)
 
 映配ジャワ時代の巡回映写班は当初、ジャカルタに5班、スラバヤに3班、バンドンに2班、スマランに1班、ジョクジャカルタに1班の計12班あったが、この頃は映写機としてジャカルタにシンプレックスポータブル3組、宣伝用貨車搭載のアイスイコン型一組、オールフォンポータブル2組、バンドン班には宣伝車搭載ツァイスイコン型一式、ローヤル一組、スマラン班にはAEG、オルフォンが各1組、ジョクジャカルタにはフィリップス型1組があった。昭和18年12月には更に増えて15班となり、これを25班に拡充する計画であった。(15)

 巡回映写の回数と観客数を分かる範囲で記すと、
 1943年 5月 150余回、430000人
      6月 220回、710000人
     7月 196回、940000人
     8月 269回、1630000人 である。(16)



2.スマトラ

 スマトラ島の巡回映写班は第25軍、昭南の宣伝班演劇班から派生して編成された。(17)

 占領初期のスマトラ島は第16軍宣伝班が宣撫工作を担当していたが、後に第25軍の宣伝班が引き継いだ。
 巡回映写隊の初期の行動は不明であるが、昭和18年8月には、映配スマトラ支社に巡回映写業務は引き継がれることとなった。

 毎日新聞社社会部、田代継男が同行したパレンバン→ジャンビー→ムアラテポ→ムアラブンゴ→ルブリンゴ→チューロップ→スカユ→パレンバンを一週間で廻ったスマトラ巡回映写隊が携行していたのは、陸軍省恤兵金で購入されたアクメ2台、フィルムは「日本ニュース」のほか、「秀子の車掌さん」「良人の価値」であった。
 これらの映画のマライ語トーキー版が製作されていたかは不明であるが、インドネシア人にも好評を博したとされる。
 また、「ビルマ戦記」や、「翼の凱歌」のインドネシア人への無料公開も行われている。

 スマトラ島での巡回映写の回数について、史料から判る範囲で記すと、
 1943年 1~3月 日本軍向け慰問映写23回、インドネシア人向け宣撫映写90回 である。(18)




3.北ボルネオ 

 北ボルネオでの巡回映写については、詳細は不明であるが、
1942年9月 宣撫8回、慰問10回、その他3回、10306人
   10月 宣撫23回、慰問9回、22408人
   11月 宣撫22回、慰問10回、22405人
   12月 宣撫17回、慰問12回、18130人 と史料にある。(19)

 映画配給社北ボルネオ支社がクチンに開設されたのは昭和18年2月(20)であり、巡回映写班の活動は続けられた。



4.海軍占領地

 海軍占領地域は映画的環境がジャワ島、スマトラ島に比べて未成熟であり、映画館はセレベスに13館、ボルネオに30館、アンボン島とセラム島に4館、バリ島とロンボック島に7館、ニューギニアに1館、ティモール島に1館の計56館があるのみであった。(21)

 マカッサル、メナド、バリ、バリクパパン、ハンジェルマン、ポンティアナ、アンボンの巡回映写班7班は「紙芝居、パンフレットの配布、移動図書館の使命も果たすこと」と、「映画配給に関する要綱」にその目的が明記され、音楽班の編成、写真展覧会の開催も行う予定であった。マカッサルには海軍民政部の手によるコーヒーの宣伝自動車から改造した巡回移動用の車輌があり、電化されていない奥地にまで宣伝工作をしていた。

 巡回映写により現地で「常設館設立運動」が起こり、マヂエネでは実際に映画館が建てられるに至った。(22)設立計画はパロポ、シンカン、ワタンポネへと波及していったようであるが、映画館が建てられたかどうかは不明である。

 巡回映写の回数と観客動員数について、史料から判明する範囲で記すと、

(セレベス島)
1943年9月  29回、78800人
    10月 59回、132500人
    11月 44回、118116人

年中行事「バツサール・マラム」での巡回映写活動
10月
1日~16日  マカツサル  15回、17300人
7日~9日    バラニツパ  3回、15000人
18日~21日   シンカン   4回、25000人
23日~24日   マロス    2回、4000人
20日~23日   ボンタイン  4回、11500人
25日~28日   スングミナサ 3回、8000人
11月
4日~9日    ワタンポネ   5回、15500人
10日~11日   ワタンソツペン 2回、12500人
14日~16日   バルウー    2回、16000人
計 40回、124800人

(サンギル島、タラウド島及周辺の小島への巡回映写)
10月16日から22日間 11ヶ所、16回、21416人

(バリト奥地のダイヤク族宣撫巡回映写)
10月16日から36日間 ダイヤク語解説付「ハワイ・マレー沖海戦」を映写
13ヶ所、18回、46200人 とある。(23)



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(註)

(1)横山隆一「フクチヤン便り ジヤワ島巡回映画記」、『日本映画』昭和17年11月号、p.60-61
 横山隆一「ジヤワと映画」、『新映画』昭和18年2月号、p56-57
 安田清夫「ジャワに於ける日本映画の宣伝的役割」、『映画評論』昭和19年7月号、p.11-14

(2)南洋映画協会は昭和15年12月発足、昭和17年9月末に解散し、日本映画社海外局と映画配給社南方局に業務及び人事が引き継がれた。
 田中純一郎 『日本映画発達史』 3 戦後映画の解放 P.114-115、中公文庫(1976)参照。

ジャワ映画公社は昭和17年10月発足、昭和18年3月末に解散。日本映画社ジャワ支局と映画配給社ジャワ支社に引き継がれた。

(3)前掲書 田中(1976) P.122によれば、三橋哲夫がジャワに赴任したのは昭和17年5月である。

(4)ムルティフィルムについては、オランダ統治時代に所属していたインドネシア人キャメラマンR・M・スタルト(ラーデン・マス・スタルト)の証言を参照。
インドネシア国立文書館(編) 『ふたつの紅白旗 インドネシア人が語る日本占領時代』 木犀社(1995) P.184-192

日本ニュース記録委員会(編)「ジャワ攻略と文化部隊」 『ニュースカメラの見た 激動の昭和』 日本放送出版協会(1980) P.89-94の記述も踏まえると、
1942年3月初旬、大宅壮一と石本統吉がムルティフィルムを接収した当初は、機材はオランダ人スタッフが置いていった重いものしか存在しておらず、
バンドンの山中に疎開されていた他の機材は、スタルトの協力で戻されたようである。

機材の名称について、前掲書 「ジャワ攻略と文化部隊」には、
デブリー製の自動現像機や、液温の自動調整装置、アケリー・オーディオカメラや、
ウェスタン・エレクトリック社製のレコード自動演奏装置が記載されている。

なお、
田中眞澄による関正へのインタヴュー、「ジュロン抑留所の想い出 ガリ版新聞文化部長・小津安二郎」 『KAWADE夢ムック小津安二郎』 河出書房新社(2001)
に登場する「日本軍が陥し」た「ジャカルタの撮影所」は、このムルティ・フィルムを指していると推断される。

(5)田村幸彦「ジヤワの映画界」、『映画旬報』昭和18年2月1日号、p16~17及び、
  三橋哲生「ジヤワの巡回映写」、『映画旬報』昭和18年11月21日号、p48-49
  石本統吉「ジヤワの映画政策」、『映画旬報』昭和18年9月21日号、p13

(6)前掲「ジャワの巡回映写」p.50-51、プロパガンダ紙芝居は14作品『ジャワ・バル』に収められているのだが、「読み語る」部分が全てインドネシア語なので読むのに難しい。
 なお、「紙芝居の出来るまで」という記事が、『ジャワ・バル』の昭和19年11月15日号、p22-23にある。

(7)前掲「ジヤワの巡回映写」p.51

(8)『ジャワ新聞』昭和18年6月29日2面記事「日映巡回班七月の日程」

(9)『ジャワ新聞』昭和18年8月30日2面記事「バニュマス州を映画巡回」

(10)『ジャワ新聞』昭和18年10月12日2面記事「巡回映写班東部へ」

(11)『ジャワ新聞』昭和18年12月15日2面記事「農村で映画好評」

(12)『ジャワ新聞』昭和18年12月17日2面記事「巡回映画」

(13)『ジャワ新聞』昭和18年12月20日2面記事「バンテンで巡回映画会」

(14)『ジャワ年鑑』ジャワ新聞社、昭和19年、p.171

(15)『ジャワ年鑑』ジャワ新聞社、昭和19年、p.171

(16)前掲「ジヤワの巡回映写」p.50 ただし津村秀夫『映画戦』朝日新聞社、1944年、p.166では、日本軍向け慰問映写と合わせて、次の数が記載されている。
1943年 5月 180回、390000人
       6月 220回、670000人
       7月 196回、740000人
       8月 163回、1320000人

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(17)田代継男「南の島の巡回映写班」、『新映画』昭和19年2月号、p.22

(18)津村秀夫『映画戦』朝日新聞社、昭和19年、p.155

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(19)「南方諸地域映画事情 北ボルネオ」、『日本映画』1944年4月1日号、p.31

(20)前掲書 田中(1976) P.123

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(21)米山忠雄「セレベス現地報告」、『映画旬報』1943年2月1日号、p.14-15

(22)「セレベス 「マヂエネ映画館」棟上式」 『映画旬報』昭和18年11月21日号 p38に、写真四枚付き小記事あり

(23)「南方諸地域映画事情 セレベス」、『日本映画』1944年4月1日号、p.30

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by tokyomonogatari | 2011-03-24 11:03 | 南方映画史メモ

『ジャワ新聞』の映画上映欄について

(1) 『ジャワ新聞』 映画上映欄の名称と掲載映画館の変遷

『ジャワ新聞』の映画上映情報欄は、掲載位置が移動する場合や、掲載されない日もあるが、大方の場合は全2面の紙面の2面下段に掲載されている。
その名称は4つあり、それぞれの期間は以下のようになる。
「ジャカルタ市劇場案内」 昭和17年12月16日~昭和18年4月28日
「ジャワ劇場案内」 昭和18年4月29日~昭和18年6月9日
「ジャワ主要劇場案内」 昭和18年6月10日~昭和18年11月17日
「爪哇主要劇場案内」 昭和18年11月18日~昭和20年8月30日
また、「ジャカルタ市劇場案内」より前の形としては、軍政監部管理ジャワ映画公社の映画広告(昭和17年12月8~11日に掲載)が掲載されていた。
ジャワ映画公社の映画広告欄では映画ごとに上映映画館名が記されるスタイルであったが、
「ジャカルタ市劇場案内」「ジャワ劇場案内」「ジャワ主要劇場案内」「爪哇主要劇場案内」の映画情報欄では、映画館名ごとに映画名が記されている。

映画情報欄に掲載され、上映映画タイトルが確認できる映画館は、

「ジャカルタ市劇場案内」の期間では、
東京劇場、日本劇場、中央、弥生、東亜、南、銀星、吾妻、亜細亜、新華、南海、新亜、八千代タナン、八千代スネン、楽天地映劇、楽天地、月世界、新世界

「ジャワ劇場案内」の期間では、
東京劇場、日本劇場、中央、弥生、東亜、南、銀星、バンドン富士、バンドン双葉、バンドン銀座、スラバヤクランガン、スラバヤ南明座、スラバヤ日本劇場、スマランジャガラン、スマラン銀星、ジョクジャ富士、ジョクジャ東亜、マラン共栄

「ジャワ主要劇場案内」の期間では、
東京劇場、日本劇場、南、銀星、中央、スラバヤ日本劇場、スラバヤクランガン、スラバヤ南明座、バンドン銀座、バンドン富士、バンドン双葉、スマラン日本劇場、スマランジャガラン、マラン共栄、ジョクジャ富士、ジョクジャ東亜、スラカルタ日本劇場、スラカルタスウタン
このうち、スマランジャガランはスマラン銀星、スラカルタスウタンはスラカルタスリウタリに昭和18年7月8日から掲載が変更される。

「爪哇主要劇場案内」の期間では、
ジャカルタ東京劇場、日本劇場、南、銀星、スラバヤ日本劇場、スラバヤ南明座、スラバヤクランガン、バンドン銀座、バンドン富士、スマラン日本劇場、マラン共栄、ジョクジャ富士、ジョクジャ東亜、スラカルタ日本劇場
となる。
「爪哇主要劇場案内」では時折(初出は昭和19年7月19日号)「映配告知板」が付記され、その場合、
ジャカルタ東京劇場、バンドン銀座、スラバヤ日本劇場、ジャカルタ日本、バンドン富士、スラバヤ南明座、スマラン日本、ジョクジャ富士、スラカルタ日本
に記載が限られる省スペース版になり、昭和19年11月15日号以降はこの省スペース版が恒常化し、それは最後の映画上映欄が確認出来た昭和20年8月30日まで続く。
(国会図書館蔵マイクロフィルムの最終日付である昭和20年8月31日には映画上映欄の掲載が無い)


(2)史料と表記

史料としては、『ジャワ新聞』国立国会図書館蔵マイクロフィルム4巻分(昭和17年12月8~昭和20年8月31日)を用いたが、数日分の欠けや、焼き付けの状況が悪く判読できない部分もあった。

<映画名の表記について>
(a)旧漢字で現在一般的でないものは極力現在のものに改めた。
(b)旧かなづかいについては、促音と拗音は場合によっては改め、他はそのままとした。
(c)同じ映画を表していると思われる映画名でも、出てくる箇所によって書かれ方が違う場合も見られたが、その場合は映画名が出てくる場所の表記のままで記した。
(d)「大東亜ニュース」「日本ニュース」「ジャワ時事月報」「南方報道」「世界電影新聞」「ジャワニュース」は、「第○報」「第○集」などと記載されているが、その数字だけで簡略的に記した。
(e)判読できなかった文字には、○を当てた。特に、史料として用いた国立国会図書館蔵マイクロフィルム『ジャワ新聞』の昭和20年の巻は左下隅が黒くなっているものが多く、そこに「爪哇主要劇場案内」が重なると全く判読できない場合もあった。
(f)上映期間中に映画名が変わる、または増減する場合も見られたが、その場合は上映期間の後に「※」を付し、その期間として記載されているすべての映画名を記した。
(g)上映期間がつながらない場合や、明らかに誤記と思われる場合は「(ママ)」を付した。

(3)『ジャワ新聞』 映画上映欄に見受けられる映画名と上映期間

(1) http://tokyostory.exblog.jp/14007214/
(2) http://tokyostory.exblog.jp/14007168/
(3) http://tokyostory.exblog.jp/14007160/
(4) http://tokyostory.exblog.jp/14007138/
(5) http://tokyostory.exblog.jp/14007104/
(6) http://tokyostory.exblog.jp/14007080/
(7) http://tokyostory.exblog.jp/14007054/
(8) http://tokyostory.exblog.jp/14007015/
(9) http://tokyostory.exblog.jp/14007004/
(10) http://tokyostory.exblog.jp/14006990/
(11) http://tokyostory.exblog.jp/14006966/

(4)『ジャワ新聞』 映画上映欄から確認できること

他の史料が示すように、昭和18年4月1日のジャワ映画公社から映画配給社ジャワ支社への配給面の移行が行われたあと、映画上映欄から敵性映画の名前が見られなくなることを確認できる。
ただし、短編漫画映画は敵性のものが補助的に用いられていたらしい*ので、時折映画欄に現れる「漫画映画」や「漫画」は、例えば当時南方にも多く輸出されていたディズニー映画であった可能性もあるのではなかろうか。

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(註)
*高木俊郎「南方映画往来」『映画旬報』昭和18年11月11日号p.17
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by tokyomonogatari | 2011-03-23 09:56 | 南方映画史メモ

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(1)

(1)東京劇場(ジャカルタ)
    
 東京劇場の写真は、「ジャカルタ劇場」として、『映画旬報』昭和18年2月1日号p.7にあり、
 「東京劇場」として、 『映画旬報』昭和18年11月21日号p.36にある。

 ジャカルタの街の真ん中の公園の横にあった映画館*。オランダ統治時代のデカ・パルクから、ジャカルタ劇場に名前が改められ、昭和17年12月11日に東京劇場と再度名前が改められて開館、その開館記念としてインドネシア映画界のスター女優60名総出演の「ビンタンスラバヤ歌劇団公演」が行われた**。映画雑誌に掲載された写真を見ると、「ジャカルタ劇場」と「東京劇場」では大分外観が異なっており、大改修が加えられたようである。昭和18年5月1日より、入館が一般邦人および軍属に限られ、日本人専門館となった。映画配給社ジャワ支社の直営館。

*松井翠聲「新生ジャワの民情と娯楽」『映画旬報』昭和18年6月21日号p.12
**『ジャワ新聞』昭和17年12月11日2面記事「映画館も日本名に」


・昭和17年
「ビンタンスラバヤ歌劇団公演」 12月11~20日
 場内修理の為休場 12月21~24日
「ロビンフッドの復讐」「大東亜ニュース14、15」 12月25~27日
「愛と光」「大東亜ニュース14、15」 12月28~30日

・昭和18年
「マイアミの月」「ジャワ時事月報4」 昭和17年12月31~昭和18年1月6日※
「彼女の初恋」 1月7~11日
「ヴァージニヤ」 1月12~15日
「アンデーハリデイ氏の秘書」 1月16~19日
「貴方の爪先」 1月20~23日
「レベツカ」 1月24~27日 (邦訳梗概の用意あり)
「奇妙な船荷」1月28~31日
「婦系図」「日本ニュース最新版」 2月1~14日(昼の部)
「陽気な生活」「ジャワ時事月報5」 2月1~3日(夜の部?)
「西部の女」「ジャワ時事月報5」 2月4~7日(夜の部)
「群集は叫ぶ」「ジャワ時事月報6」 2月8~11日(夜の部)
「続婦系図」「新しい学校」 2月15~17日(昼の部夜の部同じ?)
「続婦系図」「新しい学校」 2月18~28日(昼の部)
「真夏の夜の夢」 2月18~28日(夜の部)
「空中殺人事件」 (ハワイマレー沖海戦予告編上映中) 2月22~24日
「音楽図」 2月24(ママ)~28日

「ハワイマレー沖海戦」「大東亜ニュース17/19」 3月1~10日(10日までマライ語版、15日まで日本語版とある。)
「ハワイマレー沖海戦」 日本語版 3月11~15日(昼の部)
「最后の幸福」「大東亜ニュース19」 3月11~17日
「第五列の恐怖」 3月16~18日
「第五列の恐怖(日本語版)」 3月19~31日(昼の部)
「チヤド・ハンナ」 3月19~22日(夜の部)
「望郷」「ジャワ時事月報7」 3月23~26日※
「男の力」「ジャワ時事月報7」 3月27~31日
「将軍と参謀と兵」「ジャワ時事月報8」「日本ニュース119」 4月1~7日
「夜のタンゴ」4月8~14日
「鉄の愛情」 4月9~14日(昼の部)
「小春狂言」 4月15~17日
「日本ニュース140、141」4月18日~28日
「小春狂言」 4月18~21日(昼の部)
「別れの歌」 4月18~21日(夜の部)
「小春狂言」「日本ニュース140、141」 4月22~28日(昼の部)
「ザンボアンガ」「獨乙文化映画」「傑作漫画二巻物」 4月22~28日(夜の部)
「当劇場に限り昼夜共臨時休業仕可候」 4月27~28日
「マレー戦記」「日本ニュース142、143」 4月29~5月5日
「南海の花束」「日本ニュース146」「ジャワニュース3」 5月21~31日※
「東京の女性」「日本ニュース148」 6月1~10日
「すみだ川」「日本ニュース149、150」「ジャワニュース4」 6月11~20日※
「男の意気」「日本ニュース151」「ラジオ東京」 6月21日~30日
「孫悟空」「日本ニュース152、153」 7月1~10日
「独眼流正宗」「日本ニュース154」「マラリヤ」「ジャワニュース6、7」 7月11~20日
「女の教室」「日本ニュース155、156、157」「ジャワニュース7」 7月21~31日
「思い出の記」「日本ニュース158」「ジャワニュース8」 8月1日~10日
「美しき横顔」「日本ニュース159」「ジャワニュース9」 8月11~20日
「英国崩るゝの日」「日本ニュース160」 8月21~31日
「水戸黄門漫遊記」「日本ニュース162」 9月1~9月10日
「帝国海軍勝利の記録」「日本ニュース163」「ジャワニュース11」 9月11~20日
「翼の凱歌」「日本ニュース165」「ジャワニュース12」 9月21日~30日※
「サンデワラ ヌサンタール」(9月21~25日)
「新妻問答」「日本ニュース166」「護れジャワ」 10月1~10日
「母子草」「日本ニュース167、168」「棉をつくりませう」 10月11~20日
「日本の母」「日本ニュース169」「都会」 10月21~31日
「姿三四郎」「日本ニュース170」 10月28(ママ)~11月3日
「北極光」「日本ニュース172」 11月4~10日
「シンガポール総攻撃」「防衛総進軍」「日本ニュース173」「東京優駿競争」 11月11~17日
「エノケンの爆弾児」「ジャワニュース17」「日本ニュース177」 11月18~24日
「歌行燈」「スポーツ一年」「日本ニュース174、175」 11月25~12月1日
「海軍戦記」「おしゃべりパクロモ」「日本ニュース176」 12月2~8日
「宮本武蔵一乗寺決闘」「雪の進軍」「ジャワニュース18」 12月9日~15日
「華かなる幻想」「勤労の歌」「大東亜ニュース48」 12月16~22日
「阿片戦争」「日本ニュース180、181」「ジャワニュース19」 12月23~29日

・昭和19年
「世界に告ぐ」「昭和十八年春場所国技大相撲前半戦」「日本ニュース182」 昭和18年12月30~昭和19年1月5日
「男の花道」「昭和十八年国技大相撲後半戦」「南方報道1」「日本ニュース178」1月6~12日
「我が家の風」「マー坊の落下傘部隊」「日本ニュース179、183」1月13~19日
「奴隷船」「可愛い慰問隊」「日本ニュース184」「南方報道2」 1月20~26日
「男」「仲好行進曲」「防衛義勇軍の歌」「日本ニュース186」 1月27~2月2日
「愛機南へ飛ぶ」「一億防空陣」「南方報道3」 2月3~9日
「無法松の一生」「建設する人々」「ボクタチの入営」「日本ニュース188」 2月10~16日
「愛の一家」「お山の防空陣」「南方報道4」 2月17~23日
「結婚命令」「桃太郎の海鷲」「大日本青年体操」 2月24~3月1日
「望楼の決死隊」「うみ」「南方報道5」 3月2~8日
「決戦の大空へ」「映配楽団特別出演」「菎麻を増産せよ」「南方報道6」「南方報道7」「田植競争」 3月9~15日
「海の母」「マラリヤ」「南方報道6」「南方報道7」 3月16~22日
「マライの虎」「映配楽団特別出演」「空襲と救護」 3月23~29日
「暖流」「水鳥の生活」「南方報道8」 3月30~4月5日
「右門捕物帖護る影」「焼夷弾」「健康な肉体」 4月6~12日
「愛の世界」「日本ニュース192、193、194」「南方報道9」 4月13~19日
「青空交響楽」「銃後援護」「日本ニュース195、196」 4月20~26日
「新雪」「南方報道10」 4月27~5月3日
「エノケンの森の石松」「海軍と体操」 5月4~10日
「あの旗を撃て」「日本ニュース199」「南方報道11」 5月11~17日
「江戸の朝霧」「スリンピーたゝかひ」「日本ニュース200」 5月18~25日
「海軍」「租界」「南方報道12」 5月25(ママ)~31日
「女医の記録」「柔道日本」「となり組」 6月1~7日
「男の魂」「南方報道13」 6月8~14日
「空の神兵」「海軍病院船」「海の兵補」「日本ニュース201」 6月15~21日
「鞍馬天狗」「日本ニュース202、203」「南方報道14」 6月22~28日
「風雪の春」「水泳日本」「マラリヤ」「日本ニュース204」 6月29~7月5日
「磯川兵助功名噺」「日本ニュース205」「南方報道15」 7月6~12日
「出征前十二時間」「○ニ集フ」「日本ニュース206」 7月13~19日
「雲月の鈴蘭の妻」「造船の歌」「日本ニュース207」「南方報道16」 7月20~26日
「海峡の風雲児」「ロッパのお父さん」「福岡だより」 7月27~8月2日※
「熱風」「東京だより」「東亜のよい子供」「南方報道17」 8月3~9日
「不沈艦撃沈」「新潟便り」「対敵監視」 8月10~16日
「風の又三郎」「鹿児島便り」「南方報道18」 8月17~23日
「決闘般若坂」「聖紀の体育祭典(冬季編)」 8月24~30日
「兄の花嫁」「聖紀の体育祭典(夏季編)」「南方報道19」 8月31~9月6日
「家に三男二女あり」「みな元気だ」「望楼にて」 9月7~13日
「縁結び高田馬場」「決戦の歌」「日本ニュース212、213、214」「南方報道20」 9月14~20日
「海峡の風雲児」「木造船」「日本ニュース215、219」 9月21~27日
「父ありき」「愛馬進軍歌」「南方報道21」 9月28~10月4日
「水兵さん」「働らく娘達」 10月5~11日
「江戸最後の日」「枕木」「南方報道22」 10月12~18日
「電撃二重奏」「ノラクラ二等兵」 10月19~25日
「男の花道」「国技大相撲前編」 10月26~11月1日
「第八回勤労戦士後援音楽会」 10月28、29日
「秘めたる覚悟」「国技大相撲(鍛練成果編)」 11月2~8日
「純情二重奏(歌の姉妹、地上の合唱)」「のらくろ一等兵」 11月9~15日
「婦系図」「続婦系図」 11月16~22日
「虹の道」「四国便り」「南方報道25」 11月23~29日※
「轟沈(馬来語版)」「日の丸行進曲」「日本ニュース217、220」 11月30~12月6日
「女性航路」「日本ニュース221」「南方報道26」「太平洋行進曲」 12月7~13日
「神変麝香猫(前後篇同時上映)」「大東亜ニュース77」 12月14~20日
「思い出の記」「日本の歌」「南方報道27」 12月21~27日
「第十回勤労戦士後援音楽会」 12月31日

・昭和20年
「蘇州の夜」「日本ニュース232」「大東亜ニュース79」 12月28~昭和20年1月3日※
「新妻鏡(前後篇大会)」「南方報道28」 1月4~10日
「虎造の荒神山」「勝利の基礎」「南方報道29」 1月11~17日
「南進女性」「石油のボルネオ」「お山の防空陣」 1月18~24日
「旗本隠密」「若旦那太平記」「ボウタホシ」「インドネシヤラヤ」 1月25~31日※
「第十一回防衛義勇軍後援音楽会」 1月28日
「おもかげの街」「南方報道30」 2月1~7日
「南の風」「闘球肉弾戦」「日本ニュース211」 2月8~14日
「海の豪族」「銃後の大阪第四集」「南方報道31」 2月15~21日
「上海陸戦隊」「銃後の大阪第五集」 2月22~28日
「第十二回敢闘独立基金募集音楽会」 2月24、25日
「加藤隼戦闘隊」「日本ニュース233、234、23○」 3月1~7日
「勝利の日まで」「東北だより」「日本ニュース238、239、240」 3月8~14日
「桜の国」「南方報道34」 3月15~21日
「勝鬨音頭」「寝顔」 3月22~28日
「敢闘独立基金音楽会」 3月24、25日
「高田馬場(前後)」「最初の一分間」「南方報道35」 3月29~4月4日
「おばあさん」「軍旗南へ行く」「日本ニュース243」 4月5~11日※
「雲月の妹の歌」「南方報道36」「日本ニュース244」 4月12~18日
「元気で行かうよ」「陽炎」 4月19~25日
「芸能戦線版」「牛若丸」「日本ニュース242」 4月26~5月2日
「祝天長節敢闘独立基金募集音楽会」 4月28、29日
「海軍爆撃隊」「南方報道37」 5月3~9日
「成吉思汗」「日章旗の下に」 5月10~16日
「新たなる幸福」「田植競争」「南方報道38」 5月17~23日※
「エノケンの爆弾児」「愛の花束」 5月24~30日
「鷲の王峠」「日本ニュース247」 5月31~6月6日
「女学生記」「南方報道39」 6月7~13日
「誓ひの港」「日本ニュース246」 6月14~20日
「電撃二重奏」「南方報道40」 6月21~27日
「日常の戦ひ」「南方報道40」 6月28~7月4日
「浪曲忠臣蔵」「日本ニュース248」 7月5~11日
「熱砂の誓ひ」「南方報道41」 7月12~18日
「初笑ひ国定忠治」「福岡便り」「はがね」 7月19~25日
「新しき土」「南方報道42」 7月26~8月1日
「間諜未だ死せず」「マッチ」 8月2~8日
「三尺左吾平」「南方報道43」「鉄輪部隊」 8月9~15日
「敵は幾万ありとても」「銀座四丁目」 8月16~22日
「団十郎三代」「或る日の干潟」 8月23~29日
「若き日の歓び」「炭鉱」 8月30~9月5日


(2)日本劇場(ジャカルタ)の上映 

ジャカルタの日本劇場の写真は、『映画旬報』昭和18年11月21日p.36にあり。

オランダ統治時代の名前はグローブ。日本劇場と名がつけられた映画館はジャワ島に多くある。
文教局およびジャワ映画公社により、昭和18年3月8日午後2時半にはジャカルタ在住の回教団体幹部300名余りが日本劇場に招待され、「ハワイ・マレー沖海戦」の観覧が行われている***。映画配給社ジャワ支社の直営館。

***『ジャワ新聞』昭和18年3月7日2面記事「回教幹部映画に招待」ならびに、
昭和18年3月9日2面記事「これだッ日本精神 名画『ハワイ・マレー沖海戦』に感得した原住民感激」

・昭和17年
「新しき翼」「ジャワ時事月報3」「八重潮」 (12月8日~11日の広告に記載)
「百萬円の子供」12月14~17日
「牧童と貴婦人」12月18~19日
「台風」12月20~22日
「アリゾナ」12月23~24日
「前科者」「大東亜ニュース第14報、第15報」12月25~27日
「北極の叫び」「大東亜ニュース第14報、第15報」12月28~30日

・昭和18年
「猛獣師」「ジャワ時事月報4」 昭和17年12月31日~昭和18年1月6日
「テキサス監視隊の再起」 1月7~11日
「貴方のダンス」 1月12~15日
「ジェスジェームス」 1月15(ママ)~18日
「総べて此の世も天国よ」 1月19~22日※
「幽霊の旅行」 1月23~26日
「ジョニーアポロ」 1月27~30日
「競馬裏」「ジャワ時事月報第五報」 1月31~2月3日
「海の狼」(邦訳梗概ノ用意アリ)「ジャワ時事月報第五報」 2月4~8日
「紅衣装の花嫁」「新しい学校」「ジャワ時事月報第五報」 2月9~11日
「瀕死の白鳥」「新しい学校」「ジャワ時事月報第五報」 2月13(ママ)~15日
「恐怖の島」「新しい学校」「ジャワ時事月報第五報」 2月16~19日
「盗賊デアボロ」 2月19~21日
「陽気な歌手」(「ハワイマレー沖海戦予告編上映中」) 2月22~24日
「放浪者」 2月25~28日
「ハワイマレー沖海戦」「大東亜ニュース17」 3月1~10日
「ハワイマレー沖海戦」「大東亜ニュース19」 3月8~10日
(日本劇場 十日まで 11.30 14.30 21.30 馬来語版)
「ベニ・セレナーデ」「大東亜ニュース19」 3月11~17日
「大商店」 3月18~22日
「都会の生態」「ジャワ時事月報第七報」 3月23~26日
「ジーグフリードレヴユー団」「ジャワ時事月報第七報」」 3月27~31日
「将軍と参謀と兵」「ジャワ時事月報第八報」 4月1~7日
「アヴエ・マリヤ」 4月8~14日
「宝島」「大東亜ニュース23」 4月15~21日
「萎める薔薇」「他漫画短編」 4月22~28日
「マレー戦記」「愛国の花」「ジャワニュース1」 4月29~5月5日
「にんじん」大東亜ニュース25」 5月6~12日
「下界の天女」「大東亜ニュース26」「ジャワニュース2」 5月13~19日
「競技の王者」「漫画映画」 5月20~26日
「南海の花束」「ハワイ海戦」「ジャワニュース3」 5月27~6月2日
「踊子ズウズウ」「漫画映画」 6月3~9日
「夢を追ふ者」「獨乙文化映画」「ジャワニュース4」 6月10~16日
「乙女の湖」「漫画映画」「大東亜ニュース28」 6月17~23日
「陽光を浴びて」「漫画映画」「ジャワニュース5」 6月24~30日
「男の意気」「ラジオ東京」「大東亜ニュース31」 7月1~7日
「楽聖ベートヴェン」「漫画映画」「ジャワニュース6」 7月8~14日
「椿姫」「漫画映画」「ジャワニュース7」 7月15~21日
「女囚」「漫画映画」「大東亜ニュース33」 7月22~28日
「女の教室」「ジャワニュース8」 7月29~8月4日
「北ホテル」「漫画映画」「大東亜ニュース34」 8月5~11日
「ミシェル街八番地」「漫画」「ジャワニュース9」 8月12~18日
「黒い狼」「漫画」「文化映画」 8月19~25日
「コツホ博士の生涯」「漫画」「ジャワニュース10」 8月26~9月1日
「英国崩るゝの日」「大東亜ニュース35」 9月2~8日
「突貫児」「漫画」「ジャワニュース11」 9月9~15日
「不在證明」「大東亜ニュース36、37」9月16~22日
「曲藝師トルクサ」「漫画」「ジャワニュース12」 9月23~29日
「翼の凱歌」「慈悲心鳥」「大東亜ニュース38」「護れジャワ」 9月30~10月6日
「千一夜」「君達は防衛戦士だ!」「ジャワニュース13」「漫画」 10月7~13日
「地下鉄事件」「綿を作りませう」「漫画」「大東亜ニュース39、40」 10月14~20日
「母子草」「都会」「ジャワニュース14」 10月21~27日
「空飛ぶ馬」「日本帝国海軍」「大東亜ニュース41」 10月28~11月3日
「歌へ今宵を」「ジャワニュース15」 11月4~10日
「プレジャンの車掌」「防衛総進軍」「大東亜ニュース42」 11月11~17日
「シンガポール総攻撃」「ジャワニュース17」 11月18~24日
「母を尋ねて」「大東亜ニュース44」 11月25~12月1日
「ハワイマレー沖海戦」「おしゃべりパクロモ」「スポーツ一年」 12月2~7日          
「陸軍航空戦記」「雪の進軍」「ジャワニュース18」「大東亜ニュース46」 12月8~15日
「砂漠の女」「勤労の歌」「大東亜ニュース47」 12月16~22日
「クロツエルソナタ」「ジャワニュース19」 12月23~29日

・昭和19年
「阿片戦争」「参政への道」「大東亜ニュース48、49」 昭和18年12月30~昭和19年1月5日
「世界に告ぐ」「南方報道1」「豊穣」 1月6~12日
「青い星」「大東亜ニュース50、51」 1月13~19日
「夜の鶯」「南方報道2」 1月20~26日
「ヌサペニダ」「防衛義勇軍の歌」「大東亜ニュース52」 1月27~2月2日
「ボルコ伯爵」「くもとちゆりつぷ」「南方報道3」
「男」「建設する人々」「大東亜ニュース54」 2月10~16日
「ケパース」「マー坊の落下傘部隊」「南方報道4」 2月17~23日
「愛の一家」「可愛い慰問隊」「大東亜ニュース56」 2月24~3月1日
「南の願望」「日本の大学」「南方報道5」 3月2~8日
「望楼の決死隊」「日本ニュース151」「南方報道6、7」「菎麻を増産せよ」 3月9~15日※
「奴隷船」「南方報道6、7」 3月16~22日
「決戦の大空へ」「ラジオ体操」「日本ニュース152」 3月23~29日
「青春の気流」「健康な身体(ママ)」「南方報道8」 3月30~4月5日
「暖流」「ボクタチの入営」「健康な肉体」 4月6~4月12日
「我が家の風」「焼夷弾」「南方報道9」 4月13~19日
「東洋の凱歌」「銃後援護」「大東亜ニュース58」 4月20~26日
「姿三四郎」「貯金のすゝめ」「南方報道10」 4月27~5月3日
「愛機南へ飛ぶ」「富士山」「大東亜ニュース59」 5月4~10日
「戦ひの街」「食糧増産」「大東亜ニュース55」「南方報道11」 5月11~17日
「新雪」「スリンピーたゝかひ」「大東亜ニュース60」 5月18~25日(ママ)
「あの旗を撃て」「南方報道12」「舞踏 たたかひ」 5月25~31日
「富士に誓ふ」「大日本女子青年体操」「となり組」 6月1~7日
「サンボジヤ」「南方報道13」 6月8~14日
「結婚命令」「相撲の妙技」「海の兵補」「大東亜ニュース61」 6月15~21日
「空の神兵」「桃太郎の海鷲」「南方報道14」 6月22~28日
「第九交響楽」「マラリヤ」「大東亜ニュース62」 6月29~7月5日
「微笑の国」「南方報道15」 7月6~12日
「軽騎兵」「大東亜ニュース63」 7月13~19日
「海軍」「造船の歌」「南方報道16」 7月20~26日
「女の教室」「大東亜ニュース64」 7月27~8月2日
「新妻問答」「東亜のよい子供」「南方報道17」 8月3~9日
「五人の斥候兵」「対敵監視」「大東亜ニュース65」 8月10~16日
「出征前十二時間」「驟雨」「南方報道18」 8月17~23日
「熱風」「大東亜ニュース66」 8月24~30日
「不沈艦撃沈」「着物を作らう」「南方報道19」 8月31~9月6日
「御碑亭」「望楼にて」 9月7~13日
「華かなる幻想」「南方報道20」 9月14~20日
「海に馳せて」「みんな元気だ」 9月21~27日
「愛の世界」「南方報道21」 9月28~10月4日
「聖紀の体育祭典」「フランペシヤ」「日本ニュース193」 10月5~11日
「馬来の虎」「南方報道22」 10月12~18日
「日本の母」「村にて」 10月19~25日
「風雪の春」「南方報道23」 10月26~11月1日
「阿片戦争」「木わた」「日本ニュース195」 11月2~8日
「水兵さん」「南方報道24」 11月9~15日
「海軍戦記」「ノラクラ二等兵」「スパイにちゅうい」「日本ニュース196、197」 11月16~22日
「桃花湖」「南方報道25」 11月23~29日
「秘めたる覚悟」「雪に集ふ」「日本ニュース199」 11月30~12月6日
「轟沈」「のらくろ一等兵」「南方報道26」 12月7~13日
「猛姜女」「防空読本」「愛馬進軍歌」「大東亜ニュース76」 12月14~20日
「兄の花嫁」「南方報道27」「大東亜ニュース77」 12月21~27日

・昭和20年
「女性航路」「太平洋の凱歌」「勤労戦士」「大東亜ニュース78」 昭和19年12月28~昭和20年1月3日
「蘇州の夜」「南方報道28」 1月4~10日
「三娘数子」「雰武同」「南方報道29」 1月11~17日
「南の願望」「大東亜ニュース79」 1月18~24日
「惜分飛」「インドネシアラヤ」 1月25~31日
「鉄の愛情」「南方報道30」 2月1~7日
「萬世流芳」「日本の歌」「大東亜ニュース67」 2月8~14日
「マライの虎」「ボウタホシ」「南方報道31」 2月15~21日
「海の豪族」「大東亜ニュース68」 2月22~28日
「紅衣女○」「○○○○」「南方報道○○」 3月1~7日
「加藤隼戦闘隊」「大東亜ニュース69」 3月8~14日
「世界に告ぐ」「闘球肉弾戦」「南方報道34」 3月15~21日
「桜の国」「オウマ」「大東亜ニュース70」 3月22~28日
「鉄扇公主」「南方報道35」 3月29~4月4日
「戦ひの街」「甘藷」「オ猿の国」 4月5~11日
「おばあさん」「南方報道36」 4月12~18日
「合同記」「太平洋行進曲」 4月19~25日
「第五列の恐怖」「日本ニュース210」 4月26~5月2日
「玉連環」「僕等の翼」「南方報道37」 5月3~9日
「上海陸戦隊」「東京優駿競争」 5月10~16日
「武松與潘金蓮」「アイウエオの歌」「南方報道38」 5月17~23日※
「勝利の日まで」「南方報道38」 5月24~30日
「勝鬨音頭」「起重機の科学」 5月31~6月6日
「継母」「南方報道39」 6月7~13日
「元気で行かうよ」「躍動する回教徒」 6月14~20日
「桃花女闘法」「南方報道40」 6月21~27日
「海に馳せて」「南方報道40」 6月28~7月4日
「新妻鏡」「僕等の団結」 7月5~11日
「広東先生」「南方報道41」 7月12~18日
「海軍爆撃隊」「日の丸行進曲」 7月19~25日
「瀟湘秋雨」「南方報道42」 7月26~8月1日
「支那の夜」「枕木」 8月2~8日
「秋扇明燈」「南方報道43」 8月9~15日
「誓ひの港」「日章旗の下に」 8月16~22日
「支那の夜」「軍艦旗南へ行く」 8月23~29日
「支那の夜」「姫○」 8月30~9月5日
by tokyomonogatari | 2011-03-23 09:47 | 南方映画史メモ

日本軍占領下インドネシア・ジャワ島での映画館上映タイトル(2)

(3)中央映画劇場(ジャカルタ)の上映
 オランダ統治時代の名前はキャピトール。

・昭和17年
「新しき翼」「ジャワ時事月報3」「八重潮」 (12月8~11日の広告に記載)
「チャーリーチャン」12月15~17日
「サンヂバーへの道」12月18~20日
「ハリウッドの行列」12月21~23日
「裏街」12月24~27日
「台風」12月28~30日

・昭和18年
「女性」「ジャワ時事月報4」 昭和17年12月31~昭和18年1月2日
「前科者」「ジャワ時事月報4」 1月3~5日
「天使が顔を洗ふ」「ジャワ時事月報4」「大東亜ニュース14」(1月7日号から記載) 1月6~8日
「初恋」「大東亜ニュース14」 1月9~11日
「無頼漢」 1月12~14日
「百萬圓の子供」 1月15~18日
「牧童と貴婦人」 1月19~21日
「魅力」 1月22~24日
「ジエス・ジエームス」 1月25~27日
「総て此の世も天国も」 1月28~30日
「世界の無宗教者」「ジャワ時事月報5」 1月31~2月2日
「幽霊の旅行」「ジャワ時事月報5」 2月3~6日
「ジョニーアポロ」 2月7~9日
「暗い踊り子」「新しい学校」「ジャワ時事月報6」 2月10~12日
「競馬裏」「新しい学校」「ジャワ時事月報6」 2月13~15日
「アイクの冤罪」「新しい学校」「ジャワ時事月報6」 2月16~18日
「ブラウンの野球狂」 2月16~18日
「猛獣師」 2月19~21日
「ブロンデー支配人に会う」 2月22~24日
「海の狼」 2月25~28日
「盗賊デアボロ」 3月1~3日
「奇妙な船荷」 3月4~8日
「紹介状」 3月9~12日
「放浪者」 3月13~17日
「大いなる偽り」 3月18~22日
「医者の結婚」 3月23~26日
「何時も左様なら」 3月27~31日
「幸福の島」 4月1~7日
「カモニング」 4月8~14日
「チヤリーの叔母さん」 4月15~21日
「母の涙」 4月22~28日
「アヴエマリヤ」 4月29~5月5日
「ハワイマレー沖海戦」「大東亜ニュース18」 5月6~12日
「萎めるバラ」 5月13~19日
「父の失敗」 5月20~26日
「チョンワナラ」「漫画映画」 5月27~6月2日
「将軍と参謀と兵」「ジャワ時事月報8」 6月3~9日
「にんじん」「文化映画」「大東亜ニュース25」 6月10~16日
「サーカス」「文化映画」 6月17~23日
「愛の心」「漫画映画」 6月24~30日
「マレー戦記」「愛国の花」 7月1~7日
「競技の王者」「漫画映画」 7月8~14日
「果敢ない恋」「漫画映画」「ジャワニュース2」 7月15~21日
「乙女の湖」「漫画映画」 7月22~28日
「南海の花束」「日本の海軍」「ジャワニュース3」 7月29~8月4日
「夢を追ふ者」「ジャワニュース4」 8月5~11日
「ムトラ」「漫画」「ジャワニュース5」 8月12~18日
「瀕死の白鳥」「漫画」 8月19~25日
「ハジノサレ」「漫画」 8月26~9月1日
「北ホテル」「漫画」 9月2~8日
「宝島」「漫画」「大東亜ニュース23」 9月9~15日
「男の意気」「ラヂオ東京」「ジャワニュース6」 9月16~22日
「コツホ博士の生涯」「漫画」 9月23~29日
「ミシエル街八番地」「漫画」 9月30~10月6日
「下界の天女」「ジャワニュース7」「漫画」 10月7~13日
「女の教室」「漫画」「ジャワニュース8」 10月14~20日
「トルクサ」「漫画」 10月21~27日
「高利貸」「漫画」 10月28~11月3日
「曲藝師」「ジャワニュース10」 11月4~10日
「歩く幽霊」 11月11~17日
(以降、中央映画劇場が掲載されなくなる)


(4)弥生映画劇場(ジャカルタ)の上映

 弥生映画劇場の写真は、『映画旬報』昭和18年11月21日号p.36にあり。
 オランダ統治時代の名前はアストリア。
 昭和18年7月29日午後3時には邦人事務局開催の映画会が軍属と一般邦人向けに開催され、映画配給社ジャワ支社提供の劇映画、「日本ニュース157」や漫画「麻袋になるまで」や、○○商事提供による「新しき翼」「造船所」や、○○提供の「ドベラの種から」が上映された*。
 弥生映画劇場は後に「ジャカルタ八重潮劇場」に改められ、映画教育を目的に学生その他に原則として無料興行を行う映画館になった**。

*『ジャワ新聞』昭和18年7月29日2面記事「邦人のための映画会」
「○○商事」「○○提供」は原文ママである。
**『ジャワ年鑑』(昭和19年)p.171

・昭和17年
「ジャワ時事月報3」「八重潮」 (12月8~11日の広告に記載)
「制限なし」 12月15~17日
「恋人」 12月18~20日
「コロナード」「新しき翼」 12月21~23日
「熱帯の一夜」 12月24~27日
「姉妹」 12月28~30日


・昭和18年
「アリゾナ」「ジャワ時事月報4」 昭和17年12月31~昭和18年1月2日
「西へ行く」「ジャワ時事月報4」 1月3~1月5日
「ロビンフツトの復讐」「ジャワ時事月報4」 1月6~8日
「愛と光」「大東亜ニュース14」 1月9~11日
「得るには難しい」「浮世は苦手」 1月12~14日※
「アルカツス島」 1月15~17日
「サーカスのチャーリーチャン」「大東亜ニュース15」 1月18~20日
「極洋の叫び」 1月21~23日
「シイラツクスの子供達」 1月24~26日
「テキサス監視隊の再起」 1月27~29日
「貴方のダンス」「ジャワ時事月報5」 1月30~2月1日※
「酒場」「ジャワ時事月報5」 2月2~4日
「トレーダホーン」「ジャワ時事月報5」 2月5~8日
「ニューオルレアンスの火災」 2月9~11日
(2月12日~14日の上映映画不明→国会図書館蔵『ジャワ新聞』がこの期間存在せず)
「青い鳥」「ジャワ時事月報6」 2月15~17日※
「ハリデイ氏の秘書」「ジャワ時事月報6」 2月18~20日
「コモから来た青年」 2月21~23日
「瀕死の白鳥」「新しい学校(短編)」 2月24~27日
「日蔭の町」 2月28~3月3日
「立ち上る力」 3月4~8日
「恐怖の島」 3月9~12日
「ヴアージニア」 3月13~17日
「ブロードウエイの天使」 3月18~22日
「膝にバンジョー」 3月23~26日
「大騒動」 3月27~31日
「魔法師」 4月1~7日
「ハワイマレー沖海戦」「大東亜ニュース17」 4月8~14日
「西住戦車長伝」 4月15~21日
「将軍と参謀と兵」「ジャワ時事月報8」 4月22~28日
「神聖な恋」「ジャワ時事月報7」 4月29~5月5日
「月宮宝食」 5月6~19日
「マレーの月夜」 5月13~19日
「白雪公主」「漫画映画」 5月20~26日
「ノルバヤ」「漫画映画」 5月27~6月2日
「中国泰山」「漫画映画」 6月3~9日
(以降、弥生映画劇場が掲載されなくなる)

(5)東亜映画劇場(ジャカルタ)の上映

 東亜映画劇場の写真は、『映画旬報』昭和18年11月21日号p.36にあり。
 オランダ統治時代の名前はシネマパレス。

・昭和17年
「ジャワ時事月報3」 (12月8~11日の広告に掲載)
「蜘蛛団再起(前編)」 12月16~19日
「蜘蛛団再起(後編)」 12月20日~23日
「パリーの忿怒」12月24~27日
「痩せ男」12月28~30日

・昭和18年
「裏町」「大東亜ニュース15」 昭和17年12月31~昭和18年1月3日
「グレートワルツ」「大東亜ニュース15」 1月4~6日
「サーカスのチャーリチャン」「ジャワ時事月報4」 1月7~9日
「二十一日間の生活」「ジャワ時事月報4」 1月10~12日
「グリンホーネット(前編)」 1月13~15日
「ココモから来た青年」「大東亜ニュース14」 1月16~18日
「グリーンホーネット(後編)」「大東亜ニュース14」 1月19~21日
「恋人」 1月22~25日
「スリム」1月26~28日
「熱帯の一夜」 1月29~31日
「貴方の爪先」「ジャワ時事月報5」 2月1~3日
「ハリデイ氏の秘書」「ジャワ時事月報5」 2月4~7日
「奇妙な船荷」「ジャワ時事月報6」 2月8~11日※
(2月12日~14日の上映映画不明→国会図書館蔵『ジャワ新聞』がこの期間存在せず)
「夜の鷹」「新しい学校」「ジャワ時事月報6」 2月15~17日※
「西部の女」 2月18~21日
「起ち上る力」 2月22~24日
「ヴアージニア」 2月25~28日
「暗い踊り子」 3月1~3日
「真夏の夜の夢」 3月4~8日
「歌う牧童」 3月9~12日
「音楽団」 3月13~17日
「暗夜の走路」 3月18~22日
「奇跡」 3月23~26日
「青年の恋」 3月27~31日
「聖なる骸骨」 4月1~7日
「ハワイマレー沖海戦」「大東亜ニュース17」 4月8~14日
「マトラ」 4月15~21日
「将軍と参謀と兵」「ジャワ時事月報8」 4月22~28日
「復讐」 4月29~5月5日
「夜のタンゴ」「漫画映画」 5月6~12日
「苦悩」 5月13~19日
「マレー戦記」「愛国の歌」「ジャワニュース2」 5月20~26日
「危険」「漫画映画」 5月27~6月2日
「別れの歌」「漫画映画」 6月3~9日
(以降、東亜映画劇場は掲載されなくなる)

(6)南映画劇場(ジャカルタ)の上映

 南映画劇場の写真は、『映画旬報』昭和18年2月1日号p.7と、『映画旬報』昭和18年11月21日号p.36にあり。
 二階建て。オランダ統治時代の名前はレックス。
 日本映画社ジャカルタ製作所の映画「南の願望」の昭和19年3月2日の公開に先立って、南映画劇場では出場兵補を中心としたインドネシア人向けの公開が2月27日午前9時に行われた***。

***『ジャワ新聞』昭和19年2月26日2面記事「映画“南の願望”二日から封切り」
 南映画劇場での昭和19年2月27日のインドネシア人向け先行上映は、同新聞の映画欄には記載されていないが、午前9時からの上映というのは、昼以降の上映が普通のジャワの映画館にとっては通常興行と重ならない特別上映のためであろう。


・昭和17年
「新しき翼」「八重潮」 (12月8~11日の広告に記載)
「蜘蛛団再起」前編12月16~19日
「蜘蛛団再起」後編12月20~23日
「サンヂバーへの道」12月24~27日
「歴史は夜つくられる」12月28~29日

・昭和18年
「ハリウッドの行進」「大東亜ニュース14」 昭和17年12月31日~昭和18年1月2日
「明日来りなば」「大東亜ニュース14」 1月3~5日
「ビンタンスラバヤ歌劇団公演」 1月6~15日
「強い意志」「ジャワ時事月報4」 1月16~18日
「前科者」 1月19~21日
「裏街」「大東亜ニュース15」 1月22~24日
「駅馬車」「大東亜ニュース15」 1月25~27日
「猛獣師」 1月28~31日
「颱風」「ジャワ時事月報5」 2月1~3日
「ジェスジェームス」「ジャワ時事月報5」 2月4~6日
「パリーの評判娘」 2月7~9日
「デヴイマダー歌劇団公演」 2月8~11日※
(2月12日~14日の上映映画不明→国会図書館蔵『ジャワ新聞』がこの期間存在せず)
「巴里の忿怒」「新しい学校」「ジャワ時事月報6」 2月15~17日※
「テキサス監視隊の再起」 2月18~20日
「レベッカ」 2月21~23日
「競馬裏」 2月24~26日
「百萬圓の小供」 2月27~3月1日
「幽霊の旅行」 3月2~3日
「西部の女」 3月4~7日
「ハワイマレー沖海戦」「大東亜ニュース18」 3月8~14日
「奇妙な船荷」 3月15~17日
「ジョニーアポロ」「大東亜ニュース19」 3月18~22日
「問題の女」 3月23~26日
「大商店」 3月27~31日
「チャーリイの叔母さん」「ジャワ時事月報7」 4月1~7日
「将軍と参謀と兵」「ジャワ時事月報8」 4月8~14日
「復讐」 4月15~21日
「夜のタンゴ」「漫画映画」 4月22~26日
「宝島」「大東亜ニュース23」 4月29~5月5日
「マレー戦記」「ジャワニュース1」 5月6~12日
「ザンボアンカ」 5月13~19日
「別れの歌」「漫画映画」 5月20~26日
「南海の花束」「ハワイ海戦」「ジャワニュース3」 5月27~6月2日
「下界の天女」「漫画映画」 6月3~9日
「競技の王者」「獨逸音楽短編」「ジャワニュース4」
「乙女の湖」「漫画映画」「大東亜ニュース28」 6月17~23日
「楽聖ヨハン」「漫画映画」「ジャワニュース5」 6月24~30日
「男の意気」「ラジオ東京」「大東亜ニュース31」 7月1~7日
「瀕死の白鳥」「漫画映画」「ジャワニュース6、7」 7月8~14日※
「継母」「漫画映画」「ジャワニュース7」 7月15~21日
「陽光を浴びて」「大東亜ニュース20」「大東亜ニュース33」 7月22~28日
「女の教室」「ジャワニュース8」 7月29~8月4日
「闘牛士」「漫画映画」「大東亜ニュース34」 8月5~11日
「惜分飛」「漫画」「ジャワニュース9」 8月12~18日
「黒い狼」「漫画」「文化映画」 8月19~25日
「コツホ博士の生涯」「漫画」「ジャワニュース10」 8月26~9月1日
「英国崩るゝの日」「大東亜ニュース35」 9月2~8日
「突貫兒」「漫画」「ジャワニュース11」 9月9~15日
「椿姫」「大東亜ニュース36」「大東亜ニュース37」 9月16~22日
「曲藝師トルクサ」「漫画」「ジャワニュース12」 9月23~29日
「翼の外貨」「慈悲心鳥」「大東亜ニュース38」「護れジャワ」 9月30~10月6日
「千一夜」「君達は防衛戦士だ!」「ジャワニュース13」「漫画」 10月7~13日
「女囚」「綿を作りませう」「漫画」「大東亜ニュース39」「大東亜ニュース40」 10月14~20日
「母子草」「都会」「ジャワニュース14」 10月21~27日
「空飛ぶ馬」「日本帝国海軍」「大東亜ニュース41」 10月28~11月3日
「歌へ今宵を」「ジャワニュース15」 11月4~10日
「女鬼」「防衛総進軍」「大東亜ニュース42」 11月11~17日
「シンガポール総攻撃」「ジャワニュース17」 11月18~11月24日
「不在證明」「大東亜ニュース44」 11月25~12月1日
「ハワイマレー沖海戦」「おしゃべりパクロモ」 12月2~7日
「陸軍航空戦記」「雪の進軍」「ジャワニュース18」「大東亜ニュース46」 12月8~15日
「新舊上海」「勤労の歌」「大東亜ニュース47」 12月16~22日
「クロイツエルソナタ」「ジャワニュース19」 12月23~29日

・昭和19年
「阿片戦争」「参政への道」「大東亜ニュース48、49」 12月30~1月5日
「世界に告ぐ」「南方報道1」「豊穣」 1月6~12日
「天倫」「大東亜ニュース50、51」 1月13~19日
「夜の鶯」「南方報道2」 1月20~26日
「ヌサペニダ」「防衛義勇軍の歌」「大東亜ニュース52」 1月27~2月2日
「ボルコ伯爵」「くもとちゅりっぷ」「南方報道3」
「男」「建設する人々」「大東亜ニュース54」 2月10~16日
「ケパース」「マー坊の落下傘部隊」「南方報道4」 2月17~23日
「愛の一家」「可愛い慰問隊」「大東亜ニュース56」 2月24~3月1日
「南の願望」「日本の大学」「南方報道5」 3月2~8日
「望楼の決死隊」「日本ニュース151」「南方報道6、7」「菎麻を増産せよ」 3月9~15日※
「奴隷船」「南方報道6、7」 3月16~22日
「決戦の大空へ」「ラジオ体操」「日本ニュース152」 3月23~29日
「青春の気流」「健康な身体(ママ)」「南方報道8」 3月30~4月5日
「暖流」「ボクタチの入営」「健康な肉体」 4月6~4月12日
「我が家の風」「焼夷弾」「南方報道9」 4月13~19日
「東洋の凱歌」「銃後援護」「大東亜ニュース58」 4月20~26日
「姿三四郎」「貯金のすゝめ」「南方報道10」 4月27~5月3日
「愛機南へ飛ぶ」「富士山」「大東亜ニュース59」 5月4~10日
「戦ひの街」「食糧増産」「大東亜ニュース55」 5月11~17日
「新雪」「スリンピーたゝかひ」「大東亜ニュース60」 5月18~25日(ママ)
「あの旗を撃て」「南方報道12」「舞踊 たたかひ」 5月25~31日
「富士に誓ふ」「大日本女子青年体操」「となり組」 6月1~7日
「サンボジヤ」「南方報道13」 6月8~14日
「結婚命令」「相撲の妙技」「海の兵補」「大東亜ニュース61」 6月15~21日
「空の神兵」「桃太郎の海鷲」「南方報道14」 6月22~28日
「第九交響楽」「マラリヤ」「大東亜ニュース62」 6月29~7月5日
「微笑の国」「南方報道15」 7月6~12日
「郷下大姑娘」「大東亜ニュース63」 7月13~19日
「海軍」「造船の歌」「南方報道16」 7月20~26日
「女の教室」「大東亜ニュース64」 7月27~8月2日
「新妻問答」「東亜のよい子供」「南方報道17」 8月3~9日
「五人の斥候兵」「対敵監視」「大東亜ニュース65」 8月10~16日
「出征前十二時間」「驟雨」「南方報道18」 8月17~23日
「熱風」「大東亜ニュース66」 8月24~30日
「不沈艦撃沈」「着物を作らう」「南方報道19」 8月31~9月6日
「御碑亭」「望楼にて」 9月7~13日
「華かなる幻想」「南方報道20」 9月14~20日
「海に馳せて」「みんな元気だ」 9月21~27日
「愛の世界」「南方報道21」 9月28~10月4日
「聖紀の体育祭典」「フランペシヤ」「日本ニュース193」 10月5~11日
「馬来の虎」「南方報道22」 10月12~18日
「日本の母」「村にて」 10月19~25日
「風雪の春」「南方報道23」 10月26~11月1日
「陸軍航空戦記」「木わた」「日本ニュース195」 11月2~8日
「水兵さん」「南方報道24」 11月9~15日
(以降、南映画劇場は掲載されなくなる)
by tokyomonogatari | 2011-03-23 09:37 | 南方映画史メモ